市街地や町並みを少し離れると、どこまでも田畑が広がり、田園都市の雄大さを感じる。名木はこの安城平野に点在し、今もたくましく枝葉を伸ばしていた。
村高の大クス
遠くから見ると雄大な一本の大樹のように見えるが、二本のクスノキが幹を寄せ合っている。矢作川右岸堤防近くの小高い丘に立つ。枝は、たくましくうねり、根元は地を這うように横に伸びている。北の木は胸高囲3.52m、樹高16m。南の木は胸高囲3.2m、樹高15m。樹齢は300年と推定される。市指定天然記念物。
本證寺のイブキ
本證寺は、真宗の代表的寺院。三河三か寺の一つで、鎌倉時代に建立された。一五六三年(永禄6)、三河一向一揆のとき、本證寺は、本願寺門徒を率い松平(徳川)家康に対抗した。
本證寺の境内地(県指定史跡)や隣接地は戦国時代の城塞の名残とみられる遺構が今も残る。内堀と外堀を二重にめぐらし、見張り櫓を思わせる重層造りの鼓楼がある。これらは城郭伽藍といわれ、これほど良好に残存する例はほかになく、貴重な史跡である。
県指定天然記念物のイブキは本證寺の中庭に生育し、樹皮は褐色、縦の裂け目が幾重にもねじれ曲がり、彫刻のような造形美を形づくっている。樹齢は通称八〇〇年とされる。胸高囲二・八㍍、樹高二三㍍。伝説では親鸞が当寺を訪ねたとき、仏花の立てがらを地面にさしたものが根を張り育ったという。
榎前のクロガネモチ
榎前の民家の庭で、今も枝葉をくねらせている。榎前の村が約400年程前にこの地に移転して来た際、各戸の鬼門にモチの木を植えたと伝わる。その名残の木と思われる。肌の白い1本立の幹が地上6mのところで大きく2つに分かれ、さらに多くの枝に分岐している。枝張りは東西23m、南北22mに及び、壮大な樹冠を形成している。胸高囲3.23m、樹高19m。この樹の隣には雌木があり、たくさんの実をつける。県指定天然記念物。
永安寺の雲竜の松
永安寺は大浜茶屋(浜屋町)の庄屋柴田助太夫の霊をまつる寺。助太夫は一六七七年(延宝5)貧しい村人のために助郷役の免除を願い出て刑死したと伝えられている。
この寺を覆い包むように横に枝を広げたクロマツの巨木は、助太夫家の庭にあったものか、寺の建立時に植えられたものか不明だが、樹齢は300年くらいと推定される。胸高囲3.1mで、樹高5.5m。枝張りは東西17m、南北24mに及び、その樹形が雲を得てまさに天に昇ろうとする竜を思わせるので、「雲竜の松」と呼ばれている。県指定天然記念物。
堀内の大イチョウ
樹高は市内最大である。樹齢推定300年の古木だが、樹勢は旺盛である。雌株で毎年秋には多量の銀杏をつける。胸高囲3.2m、樹高30m。市指定天然記念物。
信照寺のシイ
榎前の信照寺の墓地に立つ。寄り添う墓石を覆うかのようにそびえ立ち、太さでは市内随一の巨樹である。根の近くから大きく3本に分かれる。南の2本の枝張りは、東西南北12mにも及ぶ。樹齢は400年くらいと推定される。胸高囲4.9m、樹高25m。市指定天然記念物。
桜井神社のクロマツ
桜井神社は、平安時代の「神名帳」に従五位桜井天神と記載されている古社である。棟札からも、1527年(大永7)に桜井城主松平親房が社殿(当時、神明社)を造営し、1610年(慶長15)に米津清右衛門親勝が修築し、白山社としたことがわかる。蟇股(かえるまた)など、随所に室町時代の神社建築の様式をとどめる貴重な建造物である。
桜井神社の長い参道の両側に生い茂る、見事な松並木である。戦前には200余本の老松が14,700平方㍍の境内にあった。胸高囲3m、樹高25mに達するものが林立し、拝殿へ導いてくれる。市指定天然記念物。
ほかに、安城市指定天然記念物の樹木は次のとおり。東海道の松並木、西蓮寺のイチョウ(東端町)、水月寺のシイ(西別所町)、専超寺のケヤキ(今本町)、明法寺のイブキ(安城町)。
※この記事は2010年04月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。