じっくり歩くと、遺跡も多く、老舗に巡り合う。

中町の交差点で。黒い大きな家屋を挟んで右へ吉良道、左の小道が旧東海道になる。

 知立市は、江戸から数えて東海道39番目の宿場町で、当時は「池鯉鮒宿」だった。西三河一の名社、知立神社の御手洗池に多くの鯉や鮒がいたことから「池鯉鮒」と名付けられた。天保14年の記録では、宿場の家数292軒、本陣・脇本陣・問屋場とも1軒、旅籠屋35軒。挙母、刈谷、吉良へ通じる西三河交通の要であり、知立神社への参拝でも賑わった宿場であった。
 旧東海道には今も約200本の松並木が残り、馬市の址碑もあるが、今回は名鉄知立駅の北側に当たる旧東海道沿いを歩いてみた。じっくり歩くと、遺跡も多く、今も暖簾を守る個性的な老舗に巡り合う。




粋な庭園があって、民家と同じ扉を開けると、ここは茶亭・萬屋。女性客に人気のお店だ。萬屋は江戸末期から雑穀を販売したり、旅籠屋を営んできた。17代目になる店主の村瀬淳次さんは茶人でもある。21年前に茶室「唐衣庵」をつくったのを機に、萬屋を復活させた。囲炉裏式のテーブルで、葛きりをいただく。梅みつ、黒みつに、抹茶(粉)も添えてくれる。写真上は正面奥の茶室へ通じる庭園で。右側が茶亭の入口。左側に昔からの井戸が大切に保存されている。(❶)


知立神社の御手洗池の跡。このすぐ東にかつて馬市があり、馬頭観音が祭られている慈眼寺がある。(❷)

中町交差点からホテルクラウンパレスへの街道沿いに、問屋場跡の石碑が。(左側)ここで人馬継立や飛脚の業務なども行った。(❹)

歴史を感じさせる山城屋茶舗で、4代目の伊藤英世さんに話を聞く。以前は東海道沿いで、旅籠をしていたが、明治に入って今のお店に。お茶だけでなく、抹茶茶碗、湯のみ、急須など、陶器もずらりと揃えている。(❸)

街道を歩く。左側は明治10年創業の老舗料亭岐阜屋。





明治8年創業の都築屋菓子舗で、5代目都築敏正さんの説明を聞く。江戸末期に建てられた旅籠をお店にしており、当時の帳場や格子もそのままに。伝統を守る季節の生菓子を今も作り続けている。(❺)


池鯉鮒宿本陣跡の石碑。大名や公家が泊まった。(❻)

今川屋の炭焼きうなぎの味に舌つづみ。ご飯の中にはもう1切のうなぎが入っている。(❼)

知立古城跡で。(❽)

創業100年という恵比寿屋陶器店で。店内はあらゆる日常食器でいっぱい!手描き絵付けの食器など、今は少ない掘出し物も沢山。「1個でも100個でも売りますよ」と笑う。割れないようにと天井に吊るした食器は手づくりの道具で下ろす。(❾)

奥が古刹了運寺。左の店が恵比寿屋陶器店、右側には、こんにゃく屋の看板がある。(❿)



知立といえば「大あんまき」。その元祖、小松屋本家で、5代目の神谷潤さんと。当初は茶店だった。生地を二つ折りにして焼いていた菓子の中に餡を入れて、餡巻きにしたのが始まり。ここは知立神社参道への入口に当たり、弘化4年と刻んだ常夜灯が今も立つ。(写真右上)(⓫)


取材場所
名鉄知立駅の北側 Google Map