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幸田町には家康公に仕えた家臣団の領地や親戚関係にあった松平一族の史跡、家康公から家光公までを助けた天下のご意見番である大久保彦左衛門の史跡など、家康公と関わりのある地。今回はそんな幸田町を巡る。
瑞雲山・本光寺
十八松平(じゅうはちまつだいら)の一家、島原藩主深溝松平家の菩提寺で、「三河のあじさい寺」としても知られる本光寺。「本光寺紫陽花まつり」と称し、6月になると参道や境内を埋めつくした色とりどりの約1万本のあじさいにより訪れた方々の心を癒してくれる。
平岩の射割石(ひらつかのいわりいし)と坂崎古城
平岩親吉(ひらいわ ちかよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。16人の功臣・徳川十六神将のひとり。家康公とは人質時代をともに過ごした幼馴染であった。坂崎の城主となったとき、平岩家の「平岩」命名の所縁となった「平らな石」が平岩の射割石だ。平岩親吉は9万3千石を与えられ15代犬山城主となった人物である。
八百富社と坂崎陣屋跡
天下のご意見番として知られる大久保忠教(彦左衛門)が築いた陣屋跡。忠教は慶長19年(1614)に家康公の直参として取り立てられ、この地に陣屋を築いた。明治維新により坂崎に戻ってきた9代当主の大久保忠明は坂崎村の村長になり、ここに坂崎郷学校を開校。今は八百富神社の境内地となっている。
天野康景屋敷跡と坂崎城
ここ神明社にあるのは天野康景邸跡。平岩氏の館が築かれていた坂崎古城から少し離れた場所にある。家康公に仕えたのちに三奉行となる人物だ。天野氏を忘れないために『天野康景屋敷跡』と彫られた記念碑が建てられている。
幸田町は歴史の他にも魅力がいっぱい。ドラマや映画のロケ地に使われていたり、特産品の筆柿を使ったお料理があったりと魅力が溢れている町。ぜひ足を運んでみてほしい。
※この記事は2024年01月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。