一色ならではの風情 今も
三河湾に臨む西尾市一色町は、古くから漁業が盛んで、海運業者も多かった。一色漁港の漁獲高は県下でもトップクラスで、魚の種類も多い。海老せんべい、うなぎの生産高も日本一を誇っている。平地を生かした園芸も盛んで、カーネーションの出荷も日本一に。
かつては、名鉄三河線が走り、三河一色駅前周辺から本町にかけて、店が集まり、人々が行き交った。寺津地区の人たちもこの道を通って、吉良へ向かった。
名鉄三河線の廃線(H16年、碧南―吉良吉田)もあり、今は駅前もさびしくなった。本町通りも店は少なくなった。往時を思い出しながら、町を歩いてみた。が、今も一色ならではの風情がある。町の人々には穏やかで、勤勉な人柄が息づいていた。
呉服の大黒屋は、現在の店主、山田悦弘さんが4代目。創業から187年になる。当初は万(よろず)扱いをしており、西尾城への出入りを許された商人だった。本町通りにあった店から、15年前に現地に新築移転。外観は大正時代の店構えにした。今は洋服も販売している。(❸)
江戸末期、元治年間の創業という和菓子の半田屋。5代目になる鈴木貴博さんは一級和菓子製造技能士。おなじみの一色の大提灯をかたちにした「大提灯もなか」は3年ごとに開かれる全国菓子大博覧会で、国務大臣賞を、「大提灯おこし」は審査総長賞を受賞している。他にも一色町のカーネーションをイメージした焼き菓子「花・一色」、「うなぎボーロ」など、こだわりの郷土銘菓が評判。お菓子は左から、大提灯もなか・おこし、花・一色、うなぎボーロ。(❺)
明治27年創業の金茗堂茶舗は、今も手挽きで、量り売りしてくれる。ご主人の石川泰好さんのアドバイスを受け、抹茶を自ら点ててみる。「おいしい!」。お茶は、本来のまじりけのない自然の味を大切に提供。茶碗も地元作家のものを含め、数多く揃えている。(❼)
安休寺。明治5年に、パリからイギリスへ。帰国後、東京女子師範学校(お茶の水大学の前身)の英語教官に。西欧の幼児教育を日本に紹介し、日本で最初の幼稚園経営に当った関信三は、このお寺で生れた。兄の雲英晃耀師は高倉大学寮二十世講師(大谷大学長に当る)に就いた学僧。西条(西尾)城主四代目、吉良満義とその次男、一色有義父子の墓(下)もある。(❽)
※この記事は2013年04月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。