西尾城下の礎を築いた 吉良氏800年の軌跡を巡る



かつては吉良荘と呼ばれていた西尾。鎌倉時代から戦国時代まで約340年間にわたり、西尾は吉良氏が治めていた。
2021年は吉良氏が西尾へ進出するきっかけとなった承久3年(1221)に起こった承久の乱から800年を迎える。
そこで、岩瀬文庫長の齋藤さんに解説していただきながら吉良氏800年の軌跡を巡った。


街並みが美しい西尾市内

街並みが美しい西尾市内



巡る前に齋藤さんからちょこっと解説!


西尾城を築いたのは西尾市地域に進出した足利義氏と伝えられています。足利義氏の母は、北条政子の妹である時子。やがて吉良荘を本拠とした義氏の子孫は「吉良」を名乗ることになります。


1.御剣八幡宮(錦城町)



西尾城跡の本丸に鎮座する御剣八幡宮。かつては松山(西尾市山下町か)にあったが、西尾城築城の際に城内鎮護の目的で足利義氏がここに勧請したといわれている。源家相伝の名刀「髭切」を納め、これを御神体としたことから「御剣八幡宮」と称したと伝えられる。周りに六坊(御剣八幡宮を守るお寺)を置いたが、1590年の城郭拡張の際に城下に分散されたといわれる。


2.鶴ケ崎天満宮(鶴ケ崎町)


吉良氏の初代となった長氏が吉良荘の領地経営にあたり、建長3年(1251)に鶴ケ崎天満宮を造営したと伝えられる。承久の乱の後に三河国守護・吉良荘地頭となった足利義氏が、長男ながら足利氏の家督を継げなかった長氏に吉良荘を譲ったいわれる。


3.聖運寺(中町)


天然記念物 イブキ

天然記念物 イブキ



西尾城御剣八幡宮六坊の一つ「宝光坊」が前身で、真言宗だったが親鸞の教化により浄土真宗に改宗したといわれている。境内には 樹高 15 メートルほどの市指定天然記念物イブキや、シイタケ、木炭などの殖産興業で 名高い田中長嶺筆の句碑がある。


4.善福寺(中町)



西尾城御剣八幡宮六坊の一つ東光坊が前身といわれている。もと天台宗だったが浄土真宗に改宗したとされる。聖徳太子ゆかりの寺で、脇壇の太子像は二歳の南無仏太子像といわれ、市指定文化財。また、この像は東光坊太子堂の本尊であったと伝えられている。


太子堂にて

太子堂にて


太子像

太子像


5.康全寺(満全町)


御剣八幡宮六坊のうち神宮寺釈迦堂と金剛王院大日堂が前身といわれている。この二寺を合わせ吉良山満全寺として復興した吉良満貞ゆかりの寺。現在は西尾山満貞院康全寺と改め曹洞宗の寺院になっている。康全寺には木造大日如来坐像、木造釈迦如来坐像、魚鼓などの市指定文化財が所蔵されている。

6.浄賢寺(須田町)



御剣八幡宮六坊の一つ西光坊が前身といわれている。もとは天台宗だったが浄土真宗に改宗。本尊は立派な須弥壇に阿弥陀如来立像が祀られる。


岩瀬弥助家の墓

岩瀬弥助家の墓

境内には江戸時代後期に建てたとみられる、岩瀬文庫創設者・岩瀬弥助家先祖代々の墓がある。

ちょっと知っとこ豆知識

西尾城の惣構えには「西尾五か所門」と呼ばれる5つの門があった。追羽門、丁田門、須田門、鶴ケ崎門、天王門である。5つのうちどれかの門を通らないと城下町に入れないようになっていたらしい。今はひっそりと門址の石碑があるのみ。今回の散歩では上記の門址を含め4つの門址を見つけることができた。城下を訪れた際はぜひ探してほしい。




取材場所
西尾市(錦城町・中町・鶴ケ崎町・満全町・須田町) Google Map