日本甲冑研究家である西尾市在住の加藤氏は、全国各地で開催される甲冑や武具の展示会に積極的に協力するなど、甲冑文化を受け継いでいくことに尽力している。特に地元の武将が実際に使用していた甲冑に思い入れがある。日本甲冑の魅力、地元の甲冑への思い、それらを後世へ受け継ぐことの意義について、どのように考えておられるのだろうか。

甲冑に興味を抱くまでは、どのようなものに興味を持っておられたのですか。

中学時代に剣道を始めました。そういうこともありまして、武具・武術が好きでした。その延長でしょうか、刀に興味を持ちました。初めての子供が生まれた時、誕生祝いということで守り刀として日本刀を購入しました。お産の費用として貯めていた大切な貯金で買ってしまったんです。それくらいのめり込んでいました(笑)。とにかく日本刀が好きで、知識のある方のところへ20代の半ばごろからしょっちゅう教えていただきに通っていました。

甲冑に興味を持ったきっかけは何だったのですか。

刀身について勉強していくなかで甲冑にも興味を持って、入り込んでいきました。甲冑も刀身も、歴史を勉強しなければ理解できません。時代背景がからんでくるからです。それがだんだん面白くなってきました。そうすると今度は、テレビドラマや小説、学校で使われている教科書の矛盾点などに気付いてきました。そんな時、歴史に詳しい先生と出会うきっかけがありました。そして、武具なら何でも収集するようになり、今では武具全般の時代考証も含めて、収集しながら勉強しています。

日本の甲冑には芸術作品的な要素がいろいろ含まれていると思いますが、どのあたりの時代からそのような傾向があるのでしょうか。

まずは平安・鎌倉時代だと思います。その頃の甲冑はステータスシンボルでした。たとえば、鎌倉幕府の武士が京都へ護衛に行く時、普段は粗末な甲冑でもその時だけは煌びやかなものを身に着ける。当時は、赤などの原色のものが流行っていました。武具なんですけれどファッション的な要素も強かったと思います。凝ったものを着ていると文化人に見えたんでしょうね。
 室町時代の中期頃になってくると世の中が殺伐になってきます。いわゆる戦国時代になると実用的で使いやすい甲冑が主流になっていきます。
 その後、織田信長や豊臣秀吉の時代も合戦はたくさんありましたが、彼らは西洋文化を取り入れたりファッション性を追い求めた人たちでもありました。だから甲冑も、桃山時代には派手なものがあります。上の方達だけですけれど。
 さらに時代が下って江戸の中期、元禄時代になると、武具もそうですけれど生活も派手になり、文化も変わってきます。もう少し時代が下ると、いわゆる黒船の蘭学、西洋の思想が入ってきました。甲冑もその影響を受けていきます。そういったところが面白いところです。戦闘方法も鉄砲が入ってきてから変わっていきます。長篠の合戦では、個人での戦から集団での戦へとして鉄砲が大量に投入されました。
 このように武具を理解しようとすると歴史の勉強もしなければいけない。歴史を知ると、武具を収集する上で、偽物や後付けされたものがわかってくる。それで余計にのめり込んでしまうんです(笑)。




文化財クラスの甲冑が、県外に流出してしまうことも多いのですか。

もちろん多いです。たとえば西尾藩々士のものですが、県外へ買い取られていくことが決まっていた甲冑がありました。「地元の甲冑はどうしても地元に残しておきたいから何としても譲ってほしい」と無理にお願いして譲っていただいたということもありました。地元のものは地元に残す、それが一番なんです。

地元に伝わる武具・甲冑を後世に残していく意義について、どのようにお考えですか。

地元で育ったものはやはり地元に残しておきたいですよね。誰でもいい、皆で分散してもいいから残したい。私たちの故郷西尾には昔、こういう人がいて、こういう甲冑を着けていたんだよということを知っていただくだけでもいい。地元の文化を後世に伝えるために、私たちが死んだ後でも残していきたいと思っています。

日本の甲冑にはどのような特長があるのですか。

季節感や情緒的なものが西洋の武具にはあまりないと思いますが、日本人の武具にはそれがあります。春日大明神だとか八幡大菩薩。そういうものを身につけて自分の身を守ったり、精神の拠り所にしていたんです。信仰しているものによってもデザインが変わってきます。たとえば、戦の時に自分の迷いや煩悩の誘惑から守ってもらうというのが不動明王の甲冑です。こういう考え方は、西洋には少ないと思います。西洋の甲冑を見ていると何故か殺伐としていて単なる防具という観のものが多い。ところが日本の甲冑は、季節感というか四季折々を図柄に入れたりしていて、芸術的に見てもとても価値があります。そういったものを後世に残したいと思います。

戦うために武装する。それに加えて、その人の信仰心だとかいろんな要素が日本の甲冑には入っているんですね。

そうです。甲冑というものは究極的にいえば、西洋の甲冑のように防具としての役割があればそれでいいんです。ところが日本の甲冑は、鉄板の塊ではなくて錆止めに漆を塗ったり、同色の糸ではなくて赤や緑などの原色の糸を使ったりして色彩があり、防具という役割にプラスして日本人独特の繊細な美的感覚が入っています。
 それは、自分の命を甲冑に託して戦に行く。要するに、気の世界(普段の生活)から晴の世界に武士として行くわけです。「気」の時と「晴」の時の使い分けをしていて、晴の時に甲冑を身に着けるということは、武士にとって晴れ舞台の衣装なんです。それはまさしく「武士の死装束」「武士の魂」なんです。武士の最後にふさわしい晴れ着が日本の甲冑なんです。そういう部分では西洋甲冑よりも日本の甲冑の方が優れていると思っています。
 外国人の中で日本ブームが起こっていますね。日本の甲冑に興味を持っている外国の方がおられるというのはそこにあると思っています。ただ単なる防具ではなくて美術品としても価値がある。日本の甲冑に興味を惹かれておられる外国の方々は、日本の方々よりもよく理解しておられる方もいます。我々日本人はもっと自国の文化を楽しんでもいいのでは、とも思います。甲冑を見ると、その時代や身分がわかる、それも甲冑の面白さのひとつです。

今後はどのような活動をされて行きたいとお考えですか。

収集しはじめた頃は自分の趣味で集めていました。しかし、地域に残っている甲冑というのは、地域の宝なんです。だから、私の所蔵だけではいけない。皆さんに見ていただいて、日本人の文化の素晴らしさをもっと知っていただきたい。単なる自己満足かも知れません。でも、先輩たちが受け継いでこられたものを私達が受け継いでいかないと、という思いがあります。西尾の宝が他の地域に流出してしまうことがいたたまれない、悲しい、そんな気持ちがあります。
 機会があれば、展示会を皆さんのために開催するなど、様々な形で協力させていただきたいと思っています。日本にはこんな素晴らしい文化があるということを、皆さんにもっと気軽に知っていただきたい、楽しんでいただきたい。


インタビュアー
maru(神田 葵)さん
maru(神田 葵)さん

1984年、西尾市生まれ。心を和ませる“和心”を丸い形に馴染ませながら唄をうたい、絵を描き、独創的な世界観を体現している心の表現者。
http://www.aoien.info