安城市朝日町商店街の目抜き通りに一軒の古民家がある。ここは初代安城町長を務めた岡田菊次郎が晩年を過ごした家だ。現在は「まちのえき岡菊苑」として岡田菊次郎の功績をたたえ、地域財産である古民家を守る活動が行われている。平成26年(2014)オープンから8年。予算面や人手不足などの問題で古民家の活用は難しいと言われる。8年も続いている理由はどこにあるのか。そしてどのような経緯で「まちのえき岡菊苑」となったのか、今回は運営に携わる責任者の鳥居さんと広報担当の築山さんに話を伺った。
石原 とても趣がある古民家、素敵ですね。古きよきものを守り「まちのえき岡菊苑」として古民家を活かす取り組みを8年間続けてこられたということで、この道のりは大変だったのではないでしょうか。
鳥居 そうですね、決して平坦な道のりではありませんでした。まず、「まちのえき岡菊苑」の「あしあと」について少しお話させてください。
岡菊苑がオープンする前の平成22年から28年までに「街なか居住促進プロジェクト」というのが安城商工会議所の旗振りにより始まりました。私が会長を務めていた「南明治町内会連合会」や「NPO法人安城まちの学校」、「NPO法人ing」などが主たるメンバーです。この期間は街なかの居住地を活かそうと多くの試みを続けてきました。平成25年にオープンした南吉館のコーヒーショップ「たまりんば」は家賃という課題を抱え運営が難しくなり、平成28年にはある大学の学生が地域活性化に希望を抱き築100年の古民家に週末限定のカフェを開きましたが、わずか数ヶ月で目途が立たず断念しました。このように苦難の時代がしばらく続いていました。
石原 試行錯誤、運営してみて分かったことも多いと思います。このように試行錯誤している中で「まちのえき岡菊苑」に白羽の矢が当たったということでしょうか。
鳥居 そうですね。建屋100年以上の歴史があって当時の商店として趣を醸している。そして町長晩年の住まいであり、遺品なども残っているため「安城市民の交流の場所としてふさわしい」ということになったんです。かつて古民家の主であった岡田菊次郎は後世に偉大な功績を残しています。さっそく曾孫にあたる岡田誠一郎さんにじっくりとお話しを聞いて頂き、賃借契約を交わすことができ平成26年(2014)4月、オープンに至ります。オープニングセレモニーには神谷市長や杉浦前市長など数多く参加をいただきました。ここで「まちのえき岡菊苑」の誕生となります。
石原 築山さんもその頃から「まちのえき岡菊苑」のプロジェクトに参加なさっているのですか?
築山 私が参加し始めたのは、その翌年からでプロジェクトのことはよくわかりませんがたまたま、メガネ店のご主人から「お手伝いしてくれない」と声がかかり少しだけお手伝いするつもりが、今に至ります。当時、築山の担当日は月2回、約20名の編成を組んで「まちのえき岡菊苑」を綺麗に維持するメンテナンス、掃除、来苑者のご案内などをしていました。そして、2019年に「まちのえき岡菊苑おるすばんボランティアの会」を発足。イベント、講座、作品展などの催し物を企画しチラシ作成と配布に力を入れてきました。
鳥居 築山さんがいたから、今の活動ができている。救世主のように思っています。
石原 企画力や運営力のある人材は大切ですよね。築山さんやとてもパワフルな人達が、なんだか苦労しているというよりは楽しく活動なさっているように見えます。「まちのえき岡菊苑」で活動する魅力について教えていただけますか。
築山 少人数で1グループ利用、周りを気にせず気楽に集い、そして古民家ということで年代的に懐かしく落ち着く空間での活動ができること、若い人も現代からかけ離れたレトロな雰囲気が落ち着くと言います。来苑者の方たちには懐かしい農機具や佇まい、中庭の庭園や茶室なども見ていただいています。懐古的な空間が魅力の一つだと思います。
石原 この空間にいると何だか落ち着きます。自由に活動ができるのは魅力ですね。岡田菊次郎さんも賑やかで温かな場所になったことを喜んでいらっしゃると思います。岡菊苑はどのように命名されたのですか。
鳥居 「まちのえき岡菊苑」の命名は岡田菊次郎の愛称「岡菊さん」と南の「丈山苑」の「苑」の字をいただいて「岡菊苑」となりました。平成29年に神谷市長や杉浦前市長を招き「岡田菊次郎 誕生150年パーティー」が行われるなど、今でも岡菊さんは安城市民に愛されています。この時に記念誌を発行することもできました。また、令和3年9月にも安城の偉人「岡田菊次郎」を知って頂くための小冊子を作り、これはイラストが付いており分かりやすいので、市内小中学生に600部配布しています。このように「岡菊さんってどんな人」というのを知っていただき、偲ぶ心を忘れず、「まちのえき岡菊苑」から安城を賑やかにしていきたい。
石原 岡田菊次郎さんは、安城市を語る上でなくてはならない方で今も愛され続けている。安城の父と呼べる偉大な方ですね。岡菊苑はボランティアの方々が支え合って運営なさっていますが、毎月の活動としてチラシを作ったり、お配りしたりするのは大変ではないですか。
築山 なんの経験もないボランティアでチラシを作るノウハウも資金もありませんでした、近隣の店舗さんにチラシ裏面に広告という形で資金のご協力をお願いしました。チラシの作成については、町内のウェブデザイナーさんがお仕事の合間を見てチラシ作りやホームページへの掲載、取材など、ボランティアで協力してくださいました。そして回覧板や公共施設等に配布して告知致しました。皆様のお力添えとご協力がなければ「まちのえき岡菊苑」の現在のカタチはなかったと思います。
石原 安城市民が協力しあってチラシを作ることができたり、教室が開けたり、助け合いの中で今の「まちのえき岡菊苑」があるのですね。鳥居さんの岡菊苑への熱い想いや築山さんの周囲の心を動かす力も凄いと思います。それでは終わりになりますが皆さまにメッセージを一言ずつお願いいたします。
築山 常識範囲内のモラルはありますが、難しく堅苦しい規制もないので自由な形でご参加いただけます。皆さまの持っている能力を活かせる場所になるかもしれません。自信がないけど挑戦してみたいという方はぜひご相談ください。
鳥居 令和4年(2022年)に市制施行70周年を迎えました。岡菊苑もやっと一人歩きができるようになってきています。建物の老朽もあり逐一資金と相談しながら、皆さんに楽しんでいただける安全で清潔な交流の場となるように築きあげていきたいと思っています。どうぞ足をお運びください。お待ちしております。
石原 本日は素敵なお話を沢山伺うことができました。ありがとうございます。
岡田菊次郎(通称:岡菊さん)のこと
慶應3年(1867)に碧海郡安城村戸崎(現在の安城市安城町)に生まれ、役場の仕事を経て安城町長を務める。安城を碧海郡の中心にするため、県立農林学校や紡績工場などの施設の誘致、警察署や郡役所移転のための道路整備など次々と成し遂げる。また明治用水土地改良区の初代理事長も務め「水を使う者は自ら水をつくれ」として矢作川上流の水源確保のため山林経営の推進や追田用悪水の改良工事などを実施した。安城市が日本のデンマークと呼ばれるようになった礎を築いた人物である。
まちのえき 岡菊苑
- 住所
- 安城市朝日町25-5
- TEL
- 0566-76-8637
※まちのえき岡菊苑は毎日開苑しておりません。イベント、講座等が有るときのみです。開苑日程は岡菊苑前の掲示板に毎月貼っていますが、お越しいただく時は事前にお問合せください。
※この記事は2022年10月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。