できるだけ腹を立てたくない、機嫌よく暮らしたい。
そんな広小路氏がたどり着いた職業は作家。その作品には、腹の底から楽しくさせてくれて何故だか元気が出てくる不思議なマジックがある。視点がその原点にあると広小路氏は語る。

 作家になるまでにどのようなお仕事をされていたんですか。

 バンドをやっていたので仕事との両立が難しくて職を点々としていました。多分、機嫌よく楽しく暮らしたかったんですね。でも、そんなに甘くはないです世の中は。やっぱり僕は偏屈なんでしょうか。

 どうして作家になろうと思ったのですか。

 作家を目指していた訳ではないんです。ただ、本を読むことは好きでした。年間100冊くらいのペースで読んでいます。消費者金融を辞めて家でウロウロ暮らしていた時、お金もないのでずっと本を読んでいました。そんな時、僕にも書けるかなという気持ちになってきたんです。あの頃は、妻子があるのに収入がない。辛い時期でした。初めて真面目に書いたものを嫁さんが面白がってくれたので、ある文学賞へ応募。そうしたら一次選考を通過、二次選考で落ちましたけど。これに気を良くしてコンスタントに書いていったという具合です。書くことが好きなんでしょうね。

 小説のアイデアはどこからくるのですか。

 僕の小説は「父親」つまり「おっさん」を題材にしているものが多いんです。人をじっと見ていて、そこから先を想像する。僕が狙っているのはそこです。丹念に追っていくと、人間というのはどこかに核心があるものです。真面目な顔をしている人でも24時間尾行してたら絶対に1カ所や2カ所は笑えるところがあるはずなんです。こんなにきちっとした大人がぬいぐるみを抱いて寝ているとか(笑)。この人面白そうだなと思ったらその人のことを考えたりするんです。

 なるほど、人間観察ですね。

 話をしていて腹が立つ人っていますよね。腹を立ててると損するのは自分。それを理解するとあまり腹が立たないことに気が付いたんです。たとえば、お金を貸した場合などは本当に欲望のせめぎ合いで、いちばんイヤなところが出てきます。その時、この人はどうしてこんなことを僕に言うんだろうと考えてみる。理解するとだんだん腹が立たなくなる。ネットを見ていても無駄に腹を立てている人が多いですよね。その人の日常はどうなんだろうと考えてみると、ネットでストレスを解消しているようで結構苦しく生きているのではないかと思うんです。そんなことを考えているとだんだん、しめしめという気持ちになってくるんです。

 金貸しだったり自殺だったり、小説は深刻な内容が多いのですが面白く読めるのは何故でしょうか。

 視点を間違えるといけないような気がします。たとえば、社会運動を見ていて「私は真理に気付いた、君らは何故気付かない」このように受け取れる場面があります。原発問題にしても多くの方達が原発NOと思っているはずなんですね。けれども過激すぎる原発反対論に対して反感を持つ人は少なくないと思います。こんな時、大衆を説得する視点がちょっと違っているのではと思うんです。正しいことを言えば皆さんがうなずいてくれるのかというと、人間は頑固なので難しいところがある。民主主義の世の中は素晴らしいのですが、無理解の人の意見も尊重しなければいけない建前がいるんです。だから、ある種の回り道が必ず必要になってくる。人を説得してまとめていくためには日本古来の腹芸みたいなものが実は必要なのであって、視点の位置が上にあっては絶対に笑えないはずなんです。「あんなアホな人がいるぞ」というように書くのか、「私はこんなにアホなんです」と書くかによって違ってくると思います。

 視点を変えると、同じ事柄でも受け取り方が違ってきますね。

 そうですね。現代は、幸福に関して無頓着な人が多いと思うんです。無頓着だから自分の幸福を確認する時に比較が必要になる。たとえば、収入だったり、素敵なパートナーだったり、車、お洒落などです。そういう所から幸福を目指す。だからこそ視点をできるだけフラットなところへと心掛けていくことによって本来の面白さというものが出てくるのではないでしょうか。僕の小説を読んで笑っていただける方がいたのなら多分、その視点に寄ってくださったのかなと思います。読書というのは他人の思考を借りることだといいますよね。思考を借りて想像力で遊ぶことだとしたら、僕の場合は僕の視点を貸すということになります。

 なるほど「視点を貸す」ですか、面白いですね。

 僕は、思想だったり哲学を織り込んで素晴らしい文章を書くことはできないので、視点だけをそこに提示して、僕より賢明な読者が考えるということです。いわゆる純文学の方達からは「こんなものはつまらない」と言われることもありますけれど、多分その方はここの視点に来てくださらなかったんだなと思います。それはしょうがない。小説にメッセージ性があるのだとしたら「ここの視点に立ってみてくれませんか」という提案でしかないと思います。


 小説を通して何を伝えたいとお考えですか。

 「人間とはなんぞや」ということを大きなテーマとして持っているつもりです。機嫌よく暮らすにはどうしたらいいのかということにも繋がってくるんです。だから文学的には語りにくい。今の社会の中で高い評価をいただくのは難しいんだろうなとは思います。文学のための文学というのが主流になりつつあって、いかに奇をてらうか、いかに独創的なものを出すかというところに心を砕いているように思えます。純文学はよくF1に例えられるんです。一番粋を集めてトップを走れと。そのサーキットで僕だけ自転車で走ってたら、それはそれで面白いじゃないですか。そこが僕の原点です。
 できる男は家庭を省みない、マイホームパパは出世しないという人もいますが、社会的に出世が難しくなってきた今、いわゆる「私」という部分がより重要になってくるはずなんです。エリートでも自殺する人がいますよね。高卒の僕からすると、何で?と思う訳です。そんな時、その人にも奥さんにもこの視点があればセーフになるのではと思えるんです。


インタビュアー
大嶋 宏美さん
大嶋 宏美さん

1979年生まれ。岐阜県出身。出版社勤務を経て西尾市一色町で書店を営む夫と結婚。町の本屋の嫁として日々奮闘中。趣味は散歩と読書。