杉浦正行さんは桜井町議会議員や安城市議会議員、愛知県議会議員や安城市長などを歴任。
現在は水土里ネット明治用水の理事長に就任。財団法人オイスカ愛知県支部相談役も務める安城市名誉市民。

お生まれはどちらになりますか?

昭和11年(1936)に安城市寺領町(旧碧海郡桜井町)で生まれました。
令和2年(2020)11月で84歳になりました。

84歳には見えません。お若い。
私も安城市の生まれで、小学生の頃は明治用水の見学などにも行きました。まだ碧海郡桜井町だった頃、安城市と合併する前に桜井町の町議会議員となられていますが、その時のことを教えてください。

私が桜井町の町議会議員になったのは、昭和38年(1963)で26歳の時です。
桜井農協の青年部に所属していたのですが、当時の町議会議員というのはお年を召した方ばかり。町内からの推薦により立候補しているのが現状でした。
しかし、やはり将来は若手の人達の意見を取り入れなければ前に進まない。青年部で誰かがやらねばと、私が率先してみんなに勧めていました。

若い世代は動きましたか?

若い世代は働き盛りということもあり決まらない。
結局、誰も候補者のなりてがおらず「言い出しっぺの貴方が立候補すればいい」と言われてしまいました。このような流れから、私は政治家の道に進むことになったのです。
最終的には自分の意思で立候補しました。

26歳という若さでの町議会議員立候補、どのように票が集まったのか気になります。

支援者は若手がほとんど。働き盛りなので昼間は人が集まりません。事務所がとても寂しかったことを憶えています。
しかし、夜になり状況は一転。多くの若者が次々に訪れてくださったのです。
開票結果はトップ当選。応援には来てもらえなかったけれど、気持ちの上では応援して下さっていたことを知り、胸がいっぱいになりました。それが政治家になった始まりです。

支援してくださった方の想いを胸に、市議の道を歩まれることとなったのですね。
その後、昭和42年(1967)に桜井町は安城市と合併する流れとなりますが、ここまでの道のりにもドラマがありそうですね。

安城市との合併は、私が桜井町議会議員を務めてきた4年間、実現させたいと願ってきたことでした。
桜井町の人口は約一万人。財政は不安定でした。桜井町が安城市と合併をすることができれば、安定的な財政が実現する。そのため、合併したほうが良いと考えていました。

やはり安城市と合併となるまでには苦労がありましたよね。

安城市との合併の議決は全会一致という決まりがあります。
16人の桜井町議員がいましたが、やはり2名の方が反対。議員それぞれの立場があるので、反対される方もいることは予測していました。
このままでは合併は進まないかもしれないと思いましたが、賛否が二分する中結果的に2名が協力されたことで満場一致に。何とか、安城市と桜井町は合併する運びとなりました。

合併後、平成3年(1991)には安城市長に立候補され、当選。3期を務められていますが、その当時のことをお聞かせください。

平成3年から平成15年まで市長を務めていました。
一つのビジョンを持って市長として3期務めました。それは田園都市としての安城市に加え、産業都市(工業や商業)としてもバランスのとれた安城市にしていきたいというビジョンです。ただ、理想だけではそれは実現しません。


そのビジョンを実現するために尽力されてきたことがあるのですね。


アイシン精機の関連会社であるアイシン・ワーナー(のちのアイシン・エイ・ダブリュ)が安城市に本社を置いたのは昭和44年(1969)。
デンソーの安城製作所が昭和42年(1967)、高棚製作所が昭和49年(1974)、そして平成19年(2007)には豊田自動織機の安城工場ができました。
このような主要な工場を誘致することで農工商のバランスが取れています。
このように安城市は一躍産業文化都市として成長しています。産業文化公園デンパークはそのシンボルです。


確かに、安城市は農業も多くて工場も多い。
日本デンマークと呼ばれているのも、このような安城市の生産性の高さや安城市民の強さからでしょうか?


デンマークはドイツと戦争となった際に攻められて悲惨な状況でした。
しかし戦争が終わって、痩せた土地を肥やすために、畜産に力を入れ、その排泄物で土を肥やすことから国の再建を始めました。そして農業先進国となっていったのです。
安城市も大正末期から昭和にかけて明治用水の豊かな水に育まれ、農業先進都市として発展。農業だけではなく、産業や福祉もバランスよく発展している。だから日本デンマークと呼ばれるようになりました。
令和2年(2020)には明治用水が通水して140周年を迎えています。


デンパーク コリング市友好都市提携調印式

デンパーク コリング市友好都市提携調印式


なるほど、安城市の発展は明治用水があってこそ。
杉浦さんご自身、令和2年より水土里ネット明治用水(明治用水土地改良区)の理事長となられていますが、どのような団体なのでしょうか?


私たちは、地域の暮らしを支える明治用水と食料を生み出す農地、さらに農地の生産性を高める水利施設などの地域資源を守って、育んでいくために農家の組合員で構成された団体です。
先人たちが築き上げてきた地域資源を次の世代に伝えていきたいという想いで団体活動を続けています。
明治用水初代理事長は「水を使う者は自ら水をつくれ」との信念で長野県根羽村の水源地に植林し、水源かん養林として全体で542ヘクタールを造林しております。

環境活動としても、次の世代に受け継がれるよう取り組んでいるのは素晴らしい。
環境活動と言えば昭和36年(1961)に設立された公益財団法人オイスカの活動にも杉浦さんはご尽力なさっています。その活動についても教えてください。

オイスカは言わばSDGsの先駆だと思います。本部を日本に置き、現在36の国と地域に組織を持つ国際NGOの第一号です。令和3年(2021)には創立60周年を迎えます。アジア太平洋や南米地域を中心に、地域の農村開発や環境保全活動に力を入れ、青年が地域のリーダーとなれるように研修を行っています。3か月すると研修生たちは日本語をマスターするんですよ。研修生たちは、国に帰り地域のリーダーとなって活動を続けています。


日本で初めてオイスカ研修センターができたのは、中部日本研修センターでしたよね?


はい。第一号は中部日本研修センター(西尾市)で、設立に当たった梶川晃平氏、石川皓英氏などが基盤を作っていただきました。
特に初代会長になられた梶川氏はバングラディシュの首都ダッカにオイスカダッカ研修センターを設立。また、バングラディシュのチッタゴンではマングローブを植林し、600ヘクタールもの高潮対策の事業化に尽力されました。
最近の活動としては、「子供の森」計画という植林活動を行っており、世界中の学校が参加。現在の参加校は5,264校、規模は4,692ヘクタールの大規模なものです。
現在、東日本海岸防災林の植林活動も実施しています。


SDGsもそうですが、地球規模の環境活動は私たちにとっても、なくてはならない活動ですね。
杉浦さんご自身の今後の目標や展望についてお聞かせください。


水の安定供給と水質保全です。現在、明治用水は国営総合農地防災事業「矢作川総合第二期地区」を行っています。
上水道や工業用水としての使命も果たせるように耐震化対策を進めています。
平成26年(2014)から行われている事業で、令和2年(2020)からこの事業に関わっていますが、完成予定は令和11年(2029)。次の未来を夢見たいじゃないですか。あと2年後には頭首工が完成予定。
まずはそれを目標に農地防災事業を推進しています。


国営総合農地防災事業 明治用水地区 地下工事

国営総合農地防災事業 明治用水地区 地下工事のようす


あと2年と言わず令和11年の完成まで、これからも、ご活躍を応援しております。


インタビュアー
榊原裕美さん
榊原裕美さん

安城市出身。名古屋音楽大学大学院修了。
合資会社中善楽器に勤務し音楽教室運営業務に携わる他、音楽講師として指導にも携わる。
ライフワークとして電子オルガンと他楽器との共演、公演企画に注力。音楽を通じて人と人
を繋ぐこと、スポットライトを浴びること、舞台袖で動きまわること、様々な形で音楽に携われていることに幸せを感じている。