江戸時代、庶民の間で爆発的に広まった浮世絵は、当時の庶民にとってどのような存在だったのだろうか。浮世絵とはどのような魅力があるのだろうか。欧米で浮世絵はどのように評価されているのだろうか。国際浮世絵学会常任理事の神谷氏にお話を聞いた。

浮世絵と出会ったのはいつ頃ですか。

浮世絵は、何となく身近にあったと思います。永谷園のお茶漬けのりやお吸い物に、歌麿・写楽・北斎・広重などのカードが入っていましたね。本格的に浮世絵と出会ったのは大学時代。3年生から学部の専門の授業で浮世絵の講義がありました。仕事としては1991年の広重展と北斎展に関わったのが最初です。

浮世絵とは庶民にとってどのような存在だったのですか。

江戸時代の庶民にとって浮世絵は、スターのプロマイド、週刊誌、そのようなものでした。絵柄は、やはり芝居の役者、女性に関する情報も多かった。また、庶民のお楽しみである相撲、旅などです。これらは当時の庶民がいちばん知りたい、見たい情報だったんですね。大きさの基本は今のB4サイズ、木版画です。明治になると、何かがあったらその情報が翌日に出版される、それくらい最先端情報でした。
 今からおよそ200年前、一般の人が見ることができるカラー印刷情報というのは、世界を見渡してもありませんでした。しかも人気の俳優、噂の女性、関取、富士山の景色。素晴らしい情報だったので皆欲しかったんですね。しかし、流行の最先端だったが故に、次のものが出ると古い浮世絵は流行遅れになってしまう。親が集めた古い浮世絵を捨てる訳にもいかないから残しておく。ところが明治近くになってくると、ヨーロッパで高く買ってくれる人が出てきました。ヨーロッパでは、芸術品として扱われていたんです。
 たとえば、影がなくて輪郭線もほんの少しなのに立体的に顔の形がわかる。「何だこれは!凄いぞ!」と言ってヨーロッパのアーティスト達が大喜びしたんです。アーティスト系で敏感な人達は、いいものをどんどん買っていく。そして、子供に残さずに寄付して亡くなっていくんです。そういった作品が、海外の美術館の倉庫にずっと眠りっぱなし。近年、展覧会を開催するために欧米へ浮世絵をお借りしに行きましたら、本当に驚くほど綺麗なものがいっぱい保存されてました。こんな綺麗なものは日本にはありません。

浮世絵のどのようなところに魅力を感じていますか。

当時の庶民は流行を追って浮世絵を楽しんでいたのですが、現代の私たちが見ると描かれている人物は知らない人ばかり。そういう目で見ると私たちは全然共感できないんです。それなのに魅力を感じる。それはやはり絵として、作品として面白いからなんです。綺麗な人を綺麗に描いているだけではない。歌麿や写楽、北斎、広重は、それを超えた魅力を持っています。
 広重は東海道五十三次の宿場を描いています。たとえば「蒲原」を見てみると雪景色なんですが、静岡県の蒲原は雪なんて降らない。だけど雪にしてしまった。広重は宿場の説明がしたかったのではなくて、実は宿場名の横の朱印に書いてある「夜之雪」、これが描きたかったんです。
 鈴鹿峠の「土山」の絵をよく見てください。かなり激しく雨が降っていて川も増水して速く流れています。旅の一行は背中を見せて重そうに歩いている。広重はこの風情を「春之雨」として表現しているんです。大雨だけど、とにかく旅をしなければいけないという旅人の気持ちが主題なんです。
 三重県の「亀山」も宿場の説明ではないんです。宿場名横の朱印に「雪晴」とあります。雪が降った翌朝は空気が冷たくて透明でキーンとした感じ、それを広重は構図の上でも色の点でも非常にすっきりと表現している。日本人がふとした時に感じる季節や天気の変化を描いている。



蒲原 夜之雪

土山 春之雨

庄野 白雨


知識が浅い私たちが浮世絵を見る際、何か心がけることはありますか。


影がなくて顔の輪郭線もほんの3本くらい、色数は多くてせいぜい十色。平面だけで構成しているのにどうしてこんな素晴らしい世界が表現できるのか。その秘密は画面構成です。ヨーロッパにはなかった広重独特の驚きの構成。どうしてこんなに自由なのか。目の高さも、鳥になったり犬になったり自由です。そういうのがヨーロッパの印象派達に影響を与えていきます。日本とヨーロッパでの受け取り方の違いが面白い。

浮世絵といえば、東海道五十三次を描いた歌川広重が知られていますが、広重のどんなところに人気があったのでしょうか。

広重がいいのは、逆説的ですが風景の説明などをあまりしないこと。やはり登場人物、置かれているシチュエーション。雨の絵だと皆顔を隠している。そうすると、この人達の気持ちはどうだろうと考える訳です。考えることで鑑賞が深まるんです。広重のデッサン力は、北斎にははるかに及びません。デッサンのうまさで言うと北斎は世界でも5番に入ると私は思います。しかし広重は、背中で語らせたら一番なんです。また、広重が描いている雨、風、雪、夜、霧。これらは歌謡曲のタイトルのようですね。ちょっとした季節や時間の変化など、日本人は結構敏感に感じるんです。それと同じような情景が広重の絵の中には入っているんです。

神谷さんから見て、一般的に知られている広重のイメージと異なるところがありましたら教えてください。

広重は東海道を描いています。中山道も描いている。日本全国を描いているんですが、そこへ行っているかというとほとんど行っていません。広重は旅の画家と言われていますが、東海道も多分歩いていないと思います。
 江戸時代に名所図絵という本がありました。広重はそれをネタにして図柄を描いたんだと思います。名所図絵をアレンジする能力が抜群なんです。そこに人の背中や花鳥風月を入れたり、雨、風、雪、霧などを被せていくと広重の世界ができるんです。そこに行っていないからこそ「雪の蒲原」が描けるんです。何でもない風景を劇的なものに変える凄い技術を持っている。「何だ、旅に行っていないのか」と思うのではなくて「そこへ行かずにどうやって描いたのか」それを見ていただきたい。

目線を少し変えると異なる何かが見えてくる、そんな神谷さんならではの「ものの見方」「考え方」について少しアドバイスをいただけますか。

自分の目でちゃんと見ることが大切です。東海道五十三次で有名な作品「庄野・白雨」を見てみると、雨の中を蓑や傘を持った人々が坂道を駆けていく。矢印のようなくさび形の構図になっています。宿場名がタイトルと思われがちですが、宿場名横にある朱印の部分、たとえば「白雨」「夜之雪」「春之雨」「雪晴」「朝之景」などがタイトルと言ってもいいと思います。
「日本橋」は街道のスタート地点です。向こうから静々と大名行列の一行がどことなく緊張した雰囲気で進んでくる。東から西へスタートするんですが、東の空は明け方。魚屋、八百屋が市場から仕入れてきた朝。放し飼いの犬達がクンクンとやっている。まさに朝の風景を描いています。この場所の門は朝4時頃まで閉まっているんです。門が開いて旅が始まる。一日の始まり、それが日本橋の「朝之景」です。こういうタイトルの付け方が広重の特徴。風情をいかに大切にしているか、こういう所は見過ごしがちなんですけれど、自分の目でよく見ていただきたいなと思います。

今後の希望、願い、ビジョンなどがございましたら教えてください。

どんな作品でも、それを見てわかったつもりになって欲しくない。わからないものはわからないと思わなきゃダメなんです。一方、学芸員はどうしてこの作品を選んだのか、この作品のどこが素晴らしいのかということを理解していただく努力をしなければいけない。鑑賞する側は、何でこの作品がここに展示されているのかを考えて鑑賞して欲しいと思います。


インタビュアー
竹内 裕子さん
竹内 裕子さん

西尾市一色町生まれ。西尾市の生涯学習講座や、お寺ヨガなどのヨガサークルを毎週開催。ヨガを身近に、健康、喜び、充実感を得てもらえるようにお伝えしている。