昨年、学術や芸術、スポーツでの多大な功績をあげた人に贈られる秋の紫綬褒章を受章された東京大学教授、福山透さんは安城市の人。20年余りの滞米生活で抗がん剤など複雑な構造をもつ天然有機化合物の合成研究に大きな成果をあげた。帰国後も、抗がん剤ビンブラスチンの完全合成に世界で初めて成功。新たな反応の手法も多数開発しています。
 『みどり』は「面白い記事が掲載された気の利いたマガジン」と評価していただき、インタビューが実現しました。安城市に帰られた日曜日の夜、同市明治本町の自宅で、お話を伺いました。奥さま手作りのスイートポテトも、とてもおいしかったです。

安城での少年時代は、どのような遊びをされたり、どのような過ごし方をされたのでしょうか。

一番面白かったのはロケットです。アルミの鉛筆キャップの中に、細かく切ったセルロイドを詰めてペンチで閉じ、発射台に乗せて、ろうそくであぶると火がついて勢い良く飛ぶのです。杉鉄砲もよく作った。先生の目を盗んで、真面目に授業を聞いている友達にパチっと撃ってニコッと笑う、というのが面白いんです(笑い)。

ご両親からは、どんな教えやしつけを受けたのでしょうか。

しつけはほとんどゼロに近いです。親父はいつも絵を描いていましたし、母もそんなに厳しい人ではなかった。勉強せよ、と言われたことは一度もない。でも、親父はいつもすごく真剣に絵を描いていた。子供としては、その姿を見て育ってきました。

化学に興味を持たれたのはいつですか。またそのきっかけは何だったでしょうか。

中学校の理科の実験のときに先生に褒められたことです。自分が何に向いているかはまだ分からなかった。ところが、先生に何回か褒められると、その気になってしまう。本当に才能があるのではないかと。高校に進学してもそう思い込んでいました。

名古屋大学時代はどんな学生生活を過されましたか。

私が高校生の頃までは、近くに名古屋大学の農学部があり、何人かの先生が画家である親父に絵を習いにきていた。その一人、農薬化学の教授であった宗像桂先生が、昆虫フェロモンの話を聞かせてくださった。その話にすっかり魅了され、名古屋大学農学部を受験することにしました。大学に入ってからは、真面目に努力しなくては、と心を入れ替え、講義が終わったら家に直行し、夕食前は弓道練習、夕食後は遅くまで勉強し、という生活をしていた。自分で言うのも何ですが、極めて?優秀な学生であったかも。だから、岸義人先生がいきなり学生実験室に入ってきて「僕のところに来ないか、来れば君の将来はバラ色になる」といった感じで一本釣りに来たんです。こんなに自信満々な人を見たのは初めてでした。

岸先生との出会いがとても大きかったのですね。

人と人の出会いは大切にしないといけません。そのとき本人は気づかなくても、後から思うと空恐ろしいくらい大切なものだと分かる。僕は学部四年生のときからふぐ毒テトロドトキシンの全合成という、その時代の最先端の研究に従事した結果、知らないうちに豊富な経験を積むことができました。その後、岸先生がハーバード大学へ移ったことで、またまた人生が大きく変わりました。

ドラマになりますよね。

いきなりアメリカへ行くということで、すごい転換期になりました。当時ハーバード大学は有機化学の分野では圧倒的に世界一のレベルでした。そこへいきなり放り込まれたのです。

ハーバード大学での一番の収穫は何でしょうか。

同世代ですごく出来る人を見たというのが一番の収穫です。ノーベル賞を受けられた有名な先生方を身近に見ることもできました。僕より少し若くても、すごく出来る人たちがいて、新鮮な驚きとともに負けん気にメラメラと火がつきました。もっと、努力しないといけないと、改心しましたね。

弟さんも、名大を卒業し、東大の教授をされていると聞きました。

僕は中学校一年のときに、六歳下の弟に将棋で負けました。以来、将棋は指していません(笑い)。僕はぱっぱっとインスピレーションでやる。弟は違う、じっと考えてから指す。その弟は物理学者で僕は有機化学者。珍しいコンビですよね。でも、弟も同じ思いでしょうが、親父にはとても勝てないと思った。人間としてのものの見方とか、ダイナミックさ、情熱とか。そして、「光」について語る親父は真剣そのものでしたね。画才は受け継ぎませんでしたが、仕事に対する「こだわり」は、親父から貰ったと思うのです。家内も、うちの親父が面白いから結婚してもいいと思った、と言っています(笑い)。

ライス大学の十七年間で、特に印象に残っていることを教えてください。

学生と一緒になって、無我夢中にもがきましたが、論文の数よりも質が正当に評価される、居心地のよい大学でした。そして、異国で研究に没頭できるような温かい家庭にしてくれた家内にも感謝しています。




紫綬褒章の授章式に出席した福山さんご夫妻。

「面白くなると、ますます上達していくものです」と福山さん(右)




先生のこれからの研究のテーマは何ですか。

東大退職まで、あと三年。重要な仕事は全て終わらせたい。
ホヤから微量しか得られない、非常に複雑な構造をもつ抗がん剤を工業的に生産できるような効率的な合成法を確立したいと思っています。また、末期ガン患者の疼痛を押さえる、副作用の少ない鎮痛剤をアヘンからではなく工業的に合成できるようにしたいとも。

化学者、あるいは人間として一番大切にされていることは何ですか。

化学を通して、人と人との人間らしい付き合いをしたい。自分の研究を楽しめるから、相手の研究の楽しさも共有できるのです。

若い人たちへのメッセージをお願いします。

せっかくこの世に生を受けたのだから、人生を楽しむことですね。何事も、面白くないな、辛いなと思うことがあっても、負けずに努力していくと、段々と面白くなってくる。面白くなるとますます上達していくものです。

安城、岡崎など、三河のまちへの思いを聞かせてください。

「故郷」に帰るというのが帰国の重要なファクターの一つでした。安城は今でも田園風景が楽しめます。このホッとした気分は何ものにも代えられません。岡崎の歴史、西尾のお茶とか、そういった伝統が残っているのもうれしいですね。

お父様とは私の父が親しくしていただきました。私も子供の頃、母と一緒にアトリエでお会いしています。叔母もお父様の教えを受け、画家になりました。ご縁を感じます。きょうは本当にありがとうございました。


インタビュアー
杉浦 宏美さん
杉浦 宏美さん

安城市に生まれる。名古屋音楽大学作曲学科卒業。社会福祉法人「ぬくもりの家」のテーマソング作詞・作曲。知多ピアノ室内楽フェスティバル、日本のピアノ音楽100年展、等に出品出演。'05より絵本の語りのための付随音楽を作曲し西尾市内の寺院、小学校、福祉施設などで上演。足踏みオルガンのコンサートも企画、上演。さらなる音の表現を模索中。安城音楽協会理事。西尾市在住。