誓願寺は天智天皇6年(667)に、天皇の勅願により総計された浄土宗西山深草派の総本山。清少納言や和泉式部、豊臣秀吉の側室松の丸殿が帰依したことにより、女人住生の寺として名高い。法然上人、西山国師、立信上人と続く浄土門の聖地であり、人々に愛され続けてきたお寺である。江戸時代に深草派の僧であった安楽庵策伝が滑稽話・人情話を集めた笑話集『醒睡笑』を著したことから、落語発祥の地ともされる。2024年に元祖法然上人が浄土宗を開かれて850年目にあたる年を迎えるので慶讃大法要の準備が着々と行われている。はるか飛鳥時代から続く誓願寺の第103世法主に西尾市福泉寺の倉内賢道猊下が、宗務総長に碧南市妙福寺の加藤良邦氏が就任された。そこで、新しい年のはじまりとして西三河ご出身のお二人にお話しを伺う機会をいただいた。

石原 本日はこのような機会をいただきありがとうございます。どうぞ宜しくお願いいたします。早速ですが、浄土宗西山深草派の総本山誓願寺の法主と宗務総長にご就任された経緯をお聞かせください。

倉内 私の先代である父は50年前檀林中本山に10年、大本山に1年半、その間宗務総長を務めて現在の誓願寺本堂再建事業を終えて本山の第96世法主に選任されました。私にはそうした実績もないのに、本山より法主の依頼がありました。これも不思議な仏縁をいただいたと思いお受けいたしました。

石原 猊下の御謙遜に頭の下がる思いです。それでは宗務総長のご就任された経緯をお願いいたします。

加藤 私の前任者は吉良町にある宝珠院の杉浦秀祐師で、ご体調を崩されたので急遽議会が開かれ、ご推薦をいただき、宗務総長となることをお請けいたしました。今年で10年目を迎えます。

石原 ありがとうございます。西山深草派とはどのような教えなのでしょうか。


倉内 手を合わせて南無阿弥陀仏と念仏して、明るい日暮しとともに永遠の命に生きることを喜ぶというのが教えです。総本山を京都新京極誓願寺とし、ご本尊は阿弥陀如来。祖師は高祖の善導大師、元祖が法然上人、流祖は西山上人で派祖は立信上人となります。


石原 ありがとうございます。日常への感謝が大切ということですね。それでは、猊下のお生まれになった吉良町や福泉寺のこと、宗務総長がお生まれになった碧南や妙福寺についても教えてください。

倉内 吉良町の気候は温暖で風光明媚な、自然美に恵まれた由緒ある歴史と文化と観光の街です。福泉寺には「人生劇場」の尾﨑士郎さんの文学碑があり、尾﨑家代々の墓もあります。士郎さんの家は地元で屈指の大商家でしたが、不幸な出来事が重なって吉良町を去ることになりました。それから30年、士郎さんは吉良町に偲ぶように帰りましたが、友人や知人は温かく歓迎してくれたというエピソードがあります。士郎さんは「故郷の山河に宿る愛情は、理念を絶して私の心にしみこんでいる」と言っています。吉良町はいつでも温かい素敵な場所です。

加藤 碧南の魅力はとても穏やかな場所であるということです。大浜寺町には宗派の違うお寺がずらりと並び、信仰が深い方も多く〝てらまちウォーク〟として親しまれています。平地で寒暖差が少なく玉ねぎやにんじんなど農業も盛んです。妙福寺はご本尊に阿弥陀様で、別堂に毘沙門天を祀っておりまして、現世利益のあるお寺です。毎月3日に行われる毘沙門天の縁日には、早朝6時から西三河各地のお寺さんに来ていただいて大般若祈祷を一日中厳修いたします。妻も明け方3時に起きてお膳を用意します。


石原 明け方3時とは、早いですね。先ほど失礼ながらご年齢を聞いて驚いたのですがお二人が健康でいらっしゃる秘訣などございましたら教えてください。

倉内 私の取柄は健康で丈夫であること。私は6兄弟の末子として生まれ、身体も小さかった。小さな頃は野球をやっていたのですが、身体が小さかったので悔しい思いもしました。それでも野球をやり続けたことで忍耐力と体力がつきました。その信念で、健康を維持するために運動と食事、そして日に当たることは欠かしません。何でも積み重ね、やり続けることが大切だと思っています。

加藤 健康の源は、食事とうがいと手洗いです。小さな頃は扁桃腺が弱かったのですが、扁桃腺を切るという選択はせず、お医者さまの言われたとおり手洗いとうがいを徹底して行っていました。コロナで言われるようになるずっと前から、習慣でやっています。これが健康の秘訣だと思います。

石原 手洗いとうがい、運動、食事、日に当たること。毎日の習慣にするのはなかなか難しかったりします。やはり継続してやり続けることが大切なのですね。ありがとうございます。それでは最後となりますが、これを読んで下さる皆さまへ元気になれるようなお言葉をいただけますでしょうか。

加藤 どんなお仕事をなさっている方でも続けていくことが大変な時代。どんな時でも後ろを振り返らずポジティブに。お寺で修業している若い人には人間力を付けるようにいいます。人としての魅力をつけるようにということを教えています。出会いを大切にして、まずは話を聞く。何が起こるかわからない時代ですが、いつでもお話を伺います。一緒に前を向いて歩んでいきましょう。

倉内 諸行無常すべての事が日々移り変わっていく社会情勢、現在は親子とも平成生まれの方が多い時代、色々なことが変わっていきます。人工知能や車の自動運転と色々な機能設備なども変わっていく時代です。長引くコロナ禍や国同士の争いが世界の平和を大きく揺るがせています。今の世情は難しい課題も多く、決して楽観視できるものではありません。しかし、時代は変わっても、人間の気持ちは変わりません。明るい気持ちで暮らし、人同士の輪を大切に、「常に明るく」「正しく人間らしく生きる」「仲良きは助け合う」これが理想的な三宝の真理だと私は思います。この難局を乗り越えて、一日も早く平穏に戻ることを願っております。




石原 本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。


インタビュアー
石原 智葉さん
石原 智葉さん

昭和48年9月4日に西尾市で生まれ育ち、OL時代を経て26歳で結婚。一級建築士試験(合格率10%難関試験)を44歳で取得。一般の方向けに自然素材を使った家づくりについて勉強会などを自社で開催しながら、設計業務をしている。普通の主婦から一級建築士になったからこそ培われた視点で西尾市や近隣の自然に寄与する家づくりを提案している。