絵本や新聞などに描かれたユーモアあふれる一コマ漫画を一度は目にしたことがあるだろう。ウノ・カマキリさんは日本漫画協会大賞にも輝いた知立出身の漫画家で、世界中にファンを持ち、落画というジャンルを築いた第一人者。そんなウノ・カマキリさんがホットトークに登場する。



ウノ・カマキリ先生の一コマ漫画、雑誌や新聞でよく拝見していました。それではインタビューを始めさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。先生は知立のご出身ということで、まずは幼少期のエピソードなど教えてください。


よろしくお願いします。知立は小学校3年生まで住んでいました。小学校の時の仲間とは今も付き合いがあります。3年うめ組で一緒だった仲間です。今も知立に行く度に会ってくれる。小さい時の仲間が70年以上も続いているって嬉しいですよ。


70年以上も続いているなんて素敵ですね。なかなか70年以上続いている関係ってないと思います。先生の作品はどれもクスッと笑えて面白いです。一コマ漫画が生まれたキッカケを教えてください。


笑ったほうがいいじゃないですか。どの人の顔も。僕の漫画家としてのモットーは笑顔づくりなんです。
中学時代、岡崎に引っ越して美術部に入りました。名古屋でフランスの漫画家オノレ・ドーミエという風刺画家の展覧会があったとき「ああ、一コマで表現するってすごいな」って思ったんです。庶民の生活や政治の不正など、絵描きはこんな風に表現ができるんだと感動しました。でも僕は日本人。「もっと違う角度で笑いを入れたい。落語のように」と思い、「落画」というジャンルを作ります。


なるほど、そこで落画というジャンルが誕生するのですね。落語をやるのを「落語家」、落語を書くのが「落画家」。先生はその後、第8回日本漫画家協会優秀賞や第20回日本漫画家協会大賞を受賞されました。この賞には歴代、藤子不二雄先生や手塚治虫先生、ちばてつや先生などが賞に輝いていますね。先生はご自身で応募されたのですか?


いや、僕は応募していない、誰かが推薦してくださったのでしょう。その時、日本漫画家協会の理事長はやなせたかし先生でした。これは、漫画家が選ぶ漫画賞。スポンサーはなしでフェアに選ばれる賞だったので、嬉しかった。その後、日本漫画家協会の会報部に入って、やなせ理事長が出かける度に、こっそり一緒について行って取材などしていました。自腹をきって。「理事長がこんなことをやっている」ってこと、伝えたいじゃないですか。仕事よりも楽しかったですね。


やなせ先生がどこに行っても、ウノ・カマキリ先生がいるって想像すると、とても面白いですね。それだけ付いて行っていたらバレるでしょうし、可愛がってもらえる秘訣のような気もします。どのような流れで、やなせ先生は知立の歌(知立は知立)を書いてくださったのでしょうか?


岡崎でイベントがあったときのこと。こっそり行ったのが先生にばれちゃって、「ウノくんも宴会においで」とお誘いいただきました。その時、やなせ先生は岡崎の歌を作っています。宴会の席で「僕は知立市出身です、知立の歌を作ってください」とやなせ先生に伝えました。そしたらまさかの「いいよ」の返事。そこで、僕は条件を伝えたんです。「知立は知立というタイトルで作ってほしい」と。このタイトルは、ずっと僕が色紙に書いていた言葉。この言葉を子どもたちに広めたかったんです。そして、やなせ先生が曲を作ってくれたらもっと広まる。


知立市歴史資料館では2021年にウノ・カマキリ展が実施された(写真の場所は斎藤吾朗先生のアトリエ)

知立市歴史資料館では2021年にウノ・カマキリ展が実施された(写真の場所は斎藤吾朗先生のアトリエ)


やなせたかしさんが知立にやってきた時のポスター

やなせたかしさんが知立にやってきた時のポスター


そうだったのですね。では曲のタイトルはウノ・カマキリ先生、そして作詞作曲はやなせ先生。これは何という豪華なご当地ソング。


そのあと「これ、知立で発表会やろうよ」というお言葉をやなせ先生からいただきました。パティオ知立ですることが急遽決まります。そしたらお子さんがたくさん集まりました。「俺が前へ出るよりアンパンマンショーやろうよ」と直前でやなせ先生。生でアンパンマンショーが見られるのは凄い事ですよね。その日は、知立は知立を披露する予定が、やなせ先生のやさしさでアンパンマンショーになってしまった。


それは、嬉しいことだけどお披露目の場がなくなったのは残念。今も知立市役所に行くと知立は知立の歌が流れていますね。


僕の名前、CDのジャケットに入っているんですよ。やなせ先生は本当凄い人でした。有名な先生なのにわざわざ僕の故郷まで足を運んでくださって、曲を作り、アンパンマンショーまで披露してくれるなんて。


なんだか胸がいっぱいになりました。人と人との繋がり、そしてやさしさの輪が広がっています。画家の斎藤吾朗先生との素敵なお写真も拝見しました。先生との繋がりについても教えてください。


出会いは東京。洋画家である久里洋二先生の展覧会です。同じ愛知ということで紹介をうけ、一泊されるということでお食事に誘いました。斎藤吾朗先生は漫画がお好きで話が弾み、そこから交流が始まります。


2022年に撮影された斎藤吾朗先生の展示会での一枚

2022年に撮影された斎藤吾朗先生の展示会での一枚


先生同士がどんなお話をしているのかとても気になります。もっとお話しが聞きたいのですがお時間が近づいてまいりました。最後にこれを読んでいる人へのメッセージをお願いします。


世の中には悲しいこともあるけど、少しのやさしい言葉で人と人は繋がれる。「おはよう」「ありがとう」そんな言葉でいいので、人と人との繋がりを大切にしてください。


素敵な言葉です。本日はありがとうございます。


今回、「みどり」のために書いてくださった色紙

今回、「みどり」のために書いてくださった色紙


インタビュアー
石原 智葉さん
石原 智葉さん

昭和48年西尾市で生まれ育ち、OL時代を経て26歳で結婚。一級建築士試験(合格率10%難関試験)を44歳で取得。一般の方向けに自然素材を使った家づくりについて勉強会などを自社で開催しながら、設計業務をしている。普通の主婦から一級建築士になったからこそ培われた視点で西尾市や近隣の自然に寄与する家づくりを提案している。