龍馬の命日から150年という区切りの年であった昨年、三河龍馬会が発足した。理事長である信原氏はどのような想いで三河龍馬会を発足させたのか。犬猿の仲であった薩摩と長州の間に入り、不可能と思われた薩長同盟の影の立役者である龍馬。その生きざまから私たちが学ぶべきことは何だろうか。信原氏にお伺いした。
龍馬に興味を持ったきっかけは?
昭和52年12月に息子が誕生しました。名前は「龍馬(りゅうま)」です。この名前は、夫が独断で考えた名前で、決して坂本龍馬を意識していたわけではありません。意識していたら、恐れ多くて絶対に付けませんよ(笑)。私を知っている人は、龍馬が好きだから息子に「龍馬」と名付けたと思っていますが、実は逆なんです。息子と同じ名前の人物に興味を持ち、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読んだのがきっかけです。それから龍馬さんの魅力にどんどん惹かれていきました。龍馬本は2千冊くらい読みました。龍馬ゆかりの地へも行きました。ワイルウェフ号沈没の場所以外は、ほぼ制覇しました。最も心に残る場所は、龍馬夫妻が新婚旅行で登った霧島連山の高千穂峰です。
三河龍馬会を発足させた理由は?
いつかは龍馬会を立ち上げたいと思っていました。昨年は龍馬没後150年という記念の年ということもあり〝時は今だ〟と思いました。全国龍馬社中という全国組織の中で、三河龍馬会は第188番目の龍馬会になります。愛知県では3番目、三河では初めてです。
今年は明治維新150年という記念の年にあたります。今の日本は、他人への気配りや礼節、思いやり、寛容といった日本人の美徳がどんどん失われ、自分の利益や興味のあることにしか関心のない日本人が増えているような気がしてなりません。龍馬さんは無欲・無私の心で、外国と対等に付き合える近代国家を作りたい、誰もが平等で幸せに暮らせる国を作りたいという大きな志を持って「国のため」「みんなのため」に、最後の最後まで諦めず行動し続けました。私は今の時代こそ、この龍馬精神を学ぶ必要があると思うのです。みんなが龍馬さんのような「公」の志を持ち、みんなが龍馬精神を身に付けて行動すれば、日本の未来は明るく、みんなが安心して幸せに暮らせる「いい国」になると思うのです。このことを伝えたいのと、世のため・人のために率先して行動を起こすような心意気を持つ人材を育てたいという強い思いで三河龍馬会を発足させていただきました。
龍馬の魅力は?
龍馬さんの魅力は一言では言い尽くせません。あえて言うならば、不可能を可能にするダイナミックさでしょうか。当時、幕府を倒すには薩摩と長州が組まなければ不可能ということは誰もが分かっていましたが、薩摩と長州は「犬猿の仲」なので同盟は「あり得ない」と思っていました。ところが龍馬さんは、持ち前のフットワークと交渉力で「あり得ない」を「あり得る」にしてしまうのです。周旋の結果、両藩のトップ会談まで漕ぎつけますが、失敗に終わります。普通なら交渉は打ち切りですが、なんと龍馬さんは諦めるどころか、次の手を考えます。双方の面子をつぶさないように、しかも双方に利益をもたらす〝秘策〟をもって同盟を締結させます。仲介する龍馬さんは「無欲・無私」の心で、しかも藩の枠を超えた立場なので正しい判断ができるし、説得力もあります。両藩の面子を立てながらうまく取り持つ。成功しても自分の手柄にしない。これが龍馬さんの最大の魅力です。
お互いのプライドを立てながら良い方向へ持って行くという龍馬さんのやり方は、現代の国と国との関係構築にとって重要なキーワードですね。
まさに今、龍馬さんのような人材が求められているような気がしますね。相手のプライドを絶対に傷つけない、双方が納得するように最善を尽くす、たとえ失敗しても諦めず次の手を考える、これが龍馬さんの真骨頂です。
私たち自身も龍馬さんのような気持ちを持たなければと思ってはいるのですが、正義のために声をあげたところでどうにもならないという気持ちもあります。
言ってもどうせダメだと思ってしまう風潮、これが大人も子どもも内向きにさせてしまう気がします。龍馬さんは脱藩したことで身も心も自由になり、いくつもの大きな仕事を成し遂げることができました。解放されたからこそ、統一国家の構想が持てたし、当時の実力者たちへの説得もできたのだと思います。とはいえ脱藩罪は重罪です。住む家もお金もなく、まわりは敵ばかりです。幕府はもちろん、生まれ故郷の土佐藩でさえ、幕府の恩恵を受けている上士は敵対勢力です。龍馬さんは「赤手空拳(せきしゅくうけん)」で大きな仕事を次々と成し遂げていきました。これがどんなにすごいことか。正義のために声を上げ続け、不屈の精神というか「必ずやる」という覚悟で行動し続けたからこそ世の中が動いたのだと思います。無理と思われることでも、行動を起こさなければ何も変わりません。無理と決めつけず、まずは行動を起こすことが大事だということを、龍馬さんは身をもって教えてくれています。
そういうエネルギーがあったから150年たった今でも龍馬さんの想いを受け継いでいきたいという人たちがたくさんいるんでしょうね。龍馬さんはどんな子どもだったのですか?
子どもの頃は泣き虫で、よくいじめられていたようです。龍馬さんが12歳の時にお母さんが亡くなり、失意のどん底で無気力の時があったようです。そんな頃、伊與さんという新しいお母さんがきました。伊與さんの3つの教えがあります。やられたらやり返せ、自分から手を出すな、男は優しくなければいけない、というものです。シンプルで、いい教えです。よほどやられっぱなしで帰ってきたのでしょうね(笑)。
その後剣術を習い始め、乙女姉さんに散々しごかれます。龍馬さんは剣術が大好きだったようで、江戸の千葉道場へ剣術修行に2度行きます。北辰一刀流免許皆伝の腕前は龍馬さんの強みとなり、その後の飛躍の源になります。人は何か強みを持つと大きな自信となりますね。だから、私の生徒さんたちにも「好きなことが見つかったらとことんそれをやり続けるといいよ。それが強みとなって自信がつくよ。その自信が源になって、また次も挑戦していけるようになるから」と教えてきました。
勉強を教えるだけが学校ではないですね。
勉強云々の前に「やる気」を育てることが大事ですね。子どもに「やる気」がなければ、いくら熱心に教えても〝馬の耳に念仏〟ですから。逆に「やる気」さえ育っていれば、子どもは自分から積極的に学んでいくでしょう。子どものやる気を育てるには、龍馬さんは最高の教材です。子どもの頃は泣き虫でいじめられっ子だった少年が、剣術に目覚めて自信をつけ、脱藩浪士でありながらも当時の実力者たちを動かし、将軍をも動かし、とうとう国の形までも変えてしまうという龍馬さんの豪快な生き様は、子どもたちに「希望」と「勇気」を与えてくれます。とくに自己肯定感の低い子どもや将来に希望が描けない子どもにとっては、自分でもやればできるかもしれない、大きくなったら龍馬さんのようにやってみたいという気持ちにさせてくれます。龍馬さんの授業の後は、子どもたちの目がきらきら輝いてくるから不思議ですね。
今後、どのような活動をしていきたいとお考えですか。
講演会や研修会、学校での授業など、様々な活動を通じて龍馬精神をさらに多くの人々に広めていきたいです。「夢は何ですか」と聞いてもすぐに答えることができない子どもが多いのは悲しいことです。未来を担う子どもたちのために、今こそ大人が変わらなければと思います。大人がよいお手本を示していけば、自然と子どもは学びます。会社でも上司ほど勉強しなければいけないということを企業様の講演会で伝えています。よいリーダーがいる会社は部下も育つということですね。大人も子どもも安心して暮らせる社会、未来に希望が持てるような明るい社会を目指し、私たちも龍馬さんを見習って行動し続けましょうと、多くの人々に呼びかけていきたい。
※この記事は2018年07月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。