「僕は小説家なのに、子供たちには『本なんか読まなくてもいいぞ。本を読む暇があったら、外で遊べ』と本気で言います。だって、本はいつでも読めるでしょ」 そう語るのは、川と子供を描く作家として注目を浴びている阿部夏丸さんだ。「知識より経験が大事」と言う。作品の中にも魚の生態や、子供の行動や心の奥底がリアルに描かれている。わくわくした気持ちで、阿部夏丸さんをお迎えした。

阿部さんはどんな子供だったのですか。

泣き虫です!(笑い)

なるほど。では、子供の頃は、どんな遊びをしていましたか。

今と同じで魚捕りです。学校から帰るとその足で川へ行く。本当に、毎日、川へ出かけていましたね。一人で遊んでいることも多かったなあ。

一人でですか?

根っから一人遊びが好きなんです。スポーツも個人戦しかできない。(笑い)向き不向きがあるんですよ。チームに入ると、人に気を使い過ぎちゃうんでしょうね。一人はいいですよ。最近の大人たちはすぐに「子供を一人にしないで」って言うけど、あれは違うな。子供はもっと一人にさせなきゃ。子供が成長するのは一人の時間ですよ。子供たちは、大人のお節介にうんざりしていると思うな。

ご両親からは、どんなしつけをされたのですか。

見事な放任主義でした。挨拶だけはきちんとしろと言われたくらいかな。うちは男ばかりの三人兄弟だったから、言うことを聞かない。おふくろも諦めたんだろうな。中学校になった頃には「嫁さんだけは自分で探せ」としか言わなくなった。(笑い)

お父さんは?

無口でしたね。叱られた記憶もないし、遊んでもらった記憶もない。バリバリの銀行員だったんだけど、子供心につまらない人だと思っていた。大人になってからですよ、父親を理解できたのは。

子供の頃、描いていた夢は何でしたか。

世界征服とか、不毛なことばかり考えていました。中学生になると、漫画家とかミュージシャンになりたいと本気で思っていたかな。

ミュージシャンの夢は?

気がついちゃったんです。自分が音痴なことに。(笑い)残酷だけれど、みんな気がつく時が来る。だからこそ少年の夢はでっかい方がいいです。「安定した職業につきたい」なんていう子供こそ、ちゃんとしつけをしなきゃね。以前、卒業アルバムの夢の欄に「夏丸さんのようになりたい」と書いてくれた六年生がいたんです。すごいでしょ。その時思ったんです。僕の役目は子供の前で「大人は楽しいぞ。こんなにいい加減でも生きていけるんだぞ」という姿を見せて、子供たちに大人になりたいと思わせてやることだと。


小説を書くきっかけは何でしたか。

最初に就いた仕事は幼稚園のお絵かきの先生でした。それからサラリーマンを八年やって…。面白い仕事でしたよ。書店、ハンバーガーショップ、酒屋と、それぞれの店長を任され、最後は学習塾。で、だめになった。

と、いいますと。

塾の先生が向かなかったんですね、遊ばせるほうが好きだから。で、心と体を壊して退職。これからは自分の好きなことをやろうと思った。最初は絵本を書きました。何冊か描くうちに、僕を育ててくれた川の絵本が描きたくなった。でも駄目なんです。川への思いが強すぎて絵にできないんですよ。それじゃあ、ということで文章にしてみた。それがデビュー作の「泣けない魚たち」です。


文章は得意だったのですか。


とんでもない。今でも苦手です。(笑い)

でも、この作品は二つの文学賞を受賞していますね。

技術がなかった分だけ、思いが伝わったんでしょうね。しかし、プロには見抜かれるようで、ある編集長に「夏丸さんは漫画好きのテレビっ子でしょ」と言われました。「書くときに映像が先行しているから、読み手に伝わりやすい」ともね。確かに僕は、漫画好きのテレビっ子です。

作品はどのようにして生まれるのですか。

いつも頭の中に、十個ほどの話の種がおぼろげに暖めてある。それが下りてくるのを待つ感じです。だから、「書ける」と思えば一気に書けますが、書けないとなるとなかなか書けない。締め切りが迫ったときは、必ず宿題がたまった夏休みの最終日を思い出しますね。(笑い)

作品を通して一番伝えたいことは何でしょうか。

それは、僕の本を読んで下さった皆さんが感じることだから…。

では、川の大好きな夏丸さんにとって、いい川とは?

それは簡単。子供の遊んでいる川です。もしくは、子供の遊べる川。魚のいない川では子供は遊ばないし、コンクリートの水路では危なくて子供は遊べない。

最近の子供は、川で遊ばないと聞きますが。

大人や社会によって川から引き離されているけれど、遊んでいる子はたくさんいます。それは昔も今も同じ。本質的に子供は変わっていない。面白いのは、昔の子も現代の子も、都会の子も田舎の子も、一日川に浸けておけば、同じ顔になるところだね。

西尾の川はどうですか。

遊べる水路もまだまだあるし、矢作古川なんて最高ですよ。ステキな川だ。護岸整備されていない川の景色と、あそこにすむ魚は次世代に残すべき財産ですよ。

地元の川を褒められると嬉しくなりますね。

それが大事。嬉しくなるのは、杉浦さんにふるさととしての意識があるからでしょ。僕は子供たちと川に入って、彼らのふるさとで遊んでいる。

今ある川が、子供たちのふるさとってことですか。

僕のふるさとは記憶の中。今ある川は、たった二十年で彼らのふるさとになる。だから、水が汚いとかいって川をけなしたり、ゴミ拾いばかりさせてては駄目ですよ。いいところ、面白いところをどんどん見つけてやらないと。そのへんは子育てと同じです。

最後に三河地域、郷土への思いを聞かせてください。

三河の文化や経済は、矢作川から生まれ、矢作川に支えられてきたもの。こんな時代だからこそ、足もとの宝物に、みんなが気がつかなきゃいけない。なによりまず、大人は川で遊んで子供に返れ、子供は川で遊んで大人になれ、です。


インタビュアー
杉浦 宏美さん
杉浦 宏美さん

安城市に生まれる。名古屋音楽大学作曲学科卒業。社会福祉法人「ぬくもりの家」のテーマソング作詞・作曲。知多ピアノ室内楽フェスティバル、日本のピアノ音楽100年展、等に出品出演。'05より絵本の語りのための付随音楽を作曲し西尾市内の寺院、小学校、福祉施設などで上演。足踏みオルガンのコンサートも企画、上演。さらなる音の表現を模索中。安城音楽協会理事。西尾市在住。