豊田市稲武の小田木地区で150年途絶えていた人形浄瑠璃が復活する。準備会発足から10年、さまざまな壁を乗り越え、令和4年(2022)9月24日に旗揚げ公演が行われた。その復活までの10年間について元座長である山田良稲さんに話を伺った。


本日はどうぞよろしくお願いいたします。では早速ですが、150年ぶりに復活した人形浄瑠璃について教えてください。


小田木村に伝えられた人形浄瑠璃は、全国的な飢饉などの影響で天保年間に「村中諸事緊縮の申合(もうしあわせ)」が起き、途絶えました。しかし、かしら(人形のあたま)と村人たちがやりとりをした資料などは残っています。現在、頭45点と衣装30点は昭和42年(1967)に県の有形民俗文化財に指定されています。


今までも人形浄瑠璃を復活させたいという声はあったと思うのですが、約10年前に「よし復活させるぞ!」となったきっかけがあったのでしょうか?


「地域課題の解決」を掲げる「市わくわく事業」への参加や、平成22年(2010)に始まった市文化振興財団主催の「農村舞台アートプロジェクト」の実行委員会からの呼びかけ、越後妻有大地の芸術祭の見学などが重なり、53歳のときに「小田木人形浄瑠璃の復活を復活させるぞ!」という話が出ました。それから10年で、夢物語だと思っていた小田木人形浄瑠璃が復活します。


山田さんの10年間の想いが詰まった人形浄瑠璃の復活ということですね。私もわくわくしてきました。その10年について教えてください。


まず、150年前に途絶えていますので、実際に人形を動かしているところや、三味線や横笛、鼓をたたいているところは誰も見たことがありません。それを学ぶために、黒田人形保存会(長野県飯田市)や恵那文楽保存会(岐阜県中津川市)などにお願いし、教えていただきました。


当時の人形などは使えなかったと思うのですが人形作りからなさったのですか?


人形細工師の方に作っていただいたり、全国芝居小屋会議理事をしていた奈良さんが譲ってくださったりとご縁がありました。また、若いころから小田木人形浄瑠璃を研究されていた加納克己先生を郷土資料館「ちゅうま」にお招きし、かしらのつくりなどについても教えていただいています。そのほかにも三味線の先生がいたり、横笛の先生が吹き方を教えて下さったりととても恵まれていました。


最も苦戦したところを教えてください。


人形の動かし方です。人形はかしら担当の人、右足担当の人、左足担当の人というように一人で動かしているわけではありません。そのため、息を合わさなければならない。「足が前にでればかしらはどの位置にいるのが正しいのか」「立つときや座るときはどのような順番で足を出せばいいか」などそれぞれが考えなければなりません。これは本当に苦労したところです。黒田人形保存会の長老の方に「基本がなっとらん」と一喝されたこともありました。



どうやって基本を覚えたのですか?


神奈川県小田原市小竹地区を拠点に活動する、三人遣い人形芝居の伝承団体である下中座のところに合宿に行き、そこで文楽協会の吉田蓑二郎さんに教えていただく機会に恵まれました。そこで撮影した動画を何度も何度も見返して、ただ座る、立つ、歩くというのがこれほどまでに難しいのかと日本の伝統文化の奥深さを知りました。


息が合って、うまく人形を動かせたときは嬉しかったでしょうね。


それはもう嬉しかったです。黒田人形保存会の長老の方に「あんたら、ようやった、短い時間でよう覚えたな、本当に感心したよ」と言われたときは涙が出るほど嬉しかったです。


旗揚げ公演の前にもお披露目する機会はあったのでしょうか?


平成27年(2015)3月豊田市民文化会館で演目の「三番叟」の一部をわずか4分でしたが披露しています。同年9月に行われた八幡神社の農村舞台では練習を重ねて7分まで時間を拡大できました。平成28年(2016)の暮れには豊田市能楽堂で、国内外で人形芝居を演じる「西川古柳座」(東京都八王子市)では前座も務めています。


では練習に練習を重ね、お披露目をさせていただく機会があり、多くの人に知っていただいた状態で旗揚げ公演が実現したのですね!


実際は令和2年(2020)の9月が旗揚げ公演の予定日だったんです。それが新型コロナウイルスのせいで中止せざるを得ない状態になってしまった。だから令和4年(2022)9月の旗揚げ公演は待ちに待ったお披露目の日となりました。


2年待っての公演となれば、喜びもひとしおですね。舞台には飾りつけや絵など舞台設置も必要ですが、これを座員だけで用意するのは大変だったのではないですか?


実は座員にお花の先生や画家の先生、大工がいました。その道のプロフェッショナルがいてくださるのはありがたいです。そして舞台で使う「鏡板の松」は地元稲武地区出身の旭丘高校の教諭の方に相談をしたところ、高校の美術科2年生の生徒15名による有志が集まり、制作していただけることになりました。



立派な松の絵は地元の高校生たちが手掛けたのですね!支え合って、それぞれの役割の中でできることをする。少しのチカラが大きな輪となって今回の小田木人形浄瑠璃が実現していることがよく分かりました。それでは最後になりますが小田木人形座旗揚げ公演は大成功となったのでしょうか?


はい、大成功です。午前中まで雨で八幡神社での公演が危ぶまれましたが午後からは雨も止んで200人を超える方が見て下さって、小田木人形座旗揚げ公演が行われました。誰が欠けても実現できなかったことなので、本当にその日が無事に迎えられたこと、終えられたことは嬉しかったです。


無事に成功して、なんだか胸が熱くなりました。最後にひとこと、メッセージをお願いいたします。


人形浄瑠璃、まだ見たことがないという方は一度小田木人形座を見に来てください。一緒にやりたいと思ってくれる方がいれば大歓迎です。


本日はありがとうございました。


インタビュアー
石原 智葉さん
石原 智葉さん

昭和48年西尾市で生まれ育ち、OL時代を経て26歳で結婚。一級建築士試験(合格率10%難関試験)を44歳で取得。一般の方向けに自然素材を使った家づくりについて勉強会などを自社で開催しながら、設計業務をしている。普通の主婦から一級建築士になったからこそ培われた視点で自然に寄与する家づくりを提案している。