腎臓がんを克服し、「今は、がんになる前より元気です」と言う杉浦貴之さん。ファイティングスピリットで病気に立ち向っても長続きはしない。ならば、楽しむスピリットを持ってロマンスに向っていく。「ワクワク生きてもクヨクヨ生きても、人生はいつか終ります。どうせならワクワク生きます。今を一生懸命生きていきたい」と明るく語りかける。西尾市の実家に近い喫茶店で、杉浦さんにお会いした。スポーツマンタイプの好漢だった。
子供の頃はどんな遊びをしていましたか。
小学生のときは野球のリトルリーグに入っていました。でも練習は大嫌いでした。雨が降ったら休みになるので、喜んでいました。(笑い)大学を出て、就職してからは、仕事がんばって、評価されて、人の役にたって生きていく道が正しいと、そういう生き方を選択していた。
病気を宣告されたときのお気持ちは?
ショックはショックだったのですが、がんだと言われて、ひと時でも人の評価を気にする生き方をしなくてもいいという安心感があったと思う。
いろんな道のりがあって、今があると思います。今トーク&ライブで全国を回っていますね。きっかけは何だったのですか。
がんというのは、お前の本当の生き方はそうじゃないんだというメッセージだったと思います。手術して、退院して、仕事に一旦復帰したのですが、からだが付いて行かずに、いろいろ放浪しました。そこで自分が自然とやっていたのは、人と人をつなぐということ。がんを治したという人に会いに行って、自分が元気をもらって、元気になっていく。それを自分だけに留めておいてはもったいないと思って。がんの患者さんに相談を受けたら、この人に会いにいくといいよと教えてあげる。宝物をおすそ分けするように。そういう中で、直感的に情報誌「メッセンジャー」の構想が出来てきた。
感じたら即行動に移したのですね。
明確な目標があって、明確な夢があったら、ワクワクして動かざるを得なくなる。
病気をかかえながら、そんなにワクワクする気持ちになるのでしょうか。
ネガティブになるときの方が多いですよ。でも不安とか心配とかに対抗するのは希望です。希望を積み重ねていくことで、不安というのは小さくなっていきます。
雑誌をきっかけにして、メッセージが広がっていったわけですね。
僕の経験から、命というのは、はかないし、もろいし、弱い。その反面、命はたくましいし、強い。人間の可能性に焦点を当てて伝えていこうとしました。命は、やわじゃないということをバックボーンにして、伝えていこうと思っています。
私はいつも勇気付けられています。本当の自分をさらけ出して、弱いところ、みっともないところ、みんな、書いている。
弱いところを見せることによって、人間は何か断ち切れる、開き直れる。過去で起きたことはしようがない。それから一歩踏み出して行こうという気持ちになれる。
そこから一歩進んで、十月二十二日、西尾市文化会館で行うような、トーク&ライブにつながっていったのですね。
「メッセンジャー」という雑誌を始めてから、新聞や雑誌、ラジオに出させてもらって、講演依頼が来るようになった。そこで講演の最後に歌う。そこで受けがよくて、思いのほか。(笑い)音楽の力はすごいなと思います。自分の詞を書いたら、いろんな人が曲をつけてくれました。今では講演の中で七、八曲、歌うスタイルになっています。
歌というのは裏も表もない。本当に今まで重い物を背負っていた人が、全部を下ろして本当に解放された姿になる。こちらも元気をもらえる。共感する。それに、いろんな人と出会って今があると思います。感謝したい人は何人もみえると思いますが。
まず自分を生んでくれた親ですね。親は子供が生きているだけで幸せなんだということを、自分が病気になって初めて気付いた。余命宣告は親が受けた。「あと半年。二年後に生きている可能性は0パーセント」と。親はショックだったと思います。そのとき母が医者に言ったことは「冗談じゃない。私は余命宣告を絶対信じません。私は息子の命を信じます」と言ってくれた。それで僕は、この病気を治していこうと自分で考えた。
親の愛というのはすごいですね。
そうですね。そう思ってくれなかったら、「死んじゃうんだ」と嘆き悲しんでいたと思う。がんは愛に弱い。自分はダメな人間だとか、僕は自分を責めてきた。自分では自分を愛せないのに、親の愛に触れて、自分でも自分を愛するようになった。
自分を愛してあげて、ということですね。
余命宣告を受け、こうして十二年生き続けていることを「奇跡」と言うけれど、「それは奇跡ではないんだよ。誰にでも出来ることなんだ」ということを伝えていきたい。そのために愛が必要だよ。夢も必要なんだ。仲間も必要なんだ。そこに気付くことを訴えています。がんと言われたら「死だ」と瞬間的に思い浮かぶ。そうではなくて、元気になった人や仲間のこと、希望が瞬間的に思い浮かぶという時代になれば、変わってくる。
去年もホノルルマラソン、走られたのですね。
入院した頃から六年後に、ホノルルマラソンを走りたいという夢をかなえた。去年、がんの患者さん、サポーター、家族を集めて八十人でホノルルマラソンツアーをやりました。うち二十人ががん患者さん、末期がんを宣告された人が五人くらい。みんな元気に完走しました。サポーターを振り切ってがん患者さんがゴールするというシーンに感動しました。がんを治す治さないという次元を越えて、いただいた命を輝かせて生きようという、そこへもって行ったら自然と良くなるかもしれない。辛い、苦しいことも多かった。でも、幸せなことを諦めずに探して続けてきました。
元気を分ち合って、多くの人が一層元気になっていただきたいです。きょうはありがとうございました。
※この記事は2011年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。