旧吉良町の文化財・史跡の保存に長年貢献してきた西尾市吉良町の颯田洪氏。文化財保護委員を任命されてから今年で40年程になる。地元の文化を後世に残していくために、どのような思いで、どのような活動をされてきたのか。インタビューは、颯田氏が管理する吉良町の徳雲寺本堂にて行われた。
颯田さんは、西尾市文化財保護委員、吉良公史跡保存会会長など、様々な会で死力を尽くされていますが、このような活動をされるようになったのは何かきっかけがあったのでしょうか。
中学の頃から歴史や考古学に興味があったんです。その頃、良い先生に恵まれましてクラブ活動で古墳の発掘を手伝わせていただいたり勉強させていただきました。今川先生は、この辺りの考古学の先覚者でした。その人に非常に可愛がっていただきました。
文化財の保護委員は、私が30代後半の頃からやらせていただいています。青年団の青年学級で史跡クラブが発足しました。そこに入って勉強をしました。当時のクラブの講師・指導者が今川先生だったんです。もう一人、吉良公史跡保存会の創立者の一人である吉良町横須賀の手嶋先生がおられました。そしてその後、文化財保護委員だった今川先生に「自分の跡取りになって欲しい」と委員に推薦されました。
具体的にどんな活動をされてきたのですか。
青年団の史跡クラブで活動していた時は、吉良上野介義央公の調査をもっとしようということで、先輩の書かれたものを読んだり、壊れたり粗末になっている史跡を整備したり標柱を立てたりしていましたし、赤穂市青年団と交歓会で赤穂を訪問したりしました。それが、旧吉良町にある文化を守っていこうという基礎だったと思います。先輩の築いた我々の歴史を守らなければいけないという意識がだんだん強くなっていきました。
また、米沢市の上杉家と西尾市の吉良家とは三重の縁がある。私が吉良公史跡保存会会長であるということで吉良・米沢親善温故交流会の会長をやらせていただき、今でも交流が続いています。こういった民間同士の交流が、西尾市市政60周年の時の米沢市と西尾市の友好都市の調印につながったんだと思います。
他にはどのような活動をされていますか。
西尾市には文化財がたくさんあります。それらをいかに掘り出して文化財に指定をして後世に残していくかということです。たとえば仏像なら、鎌倉・室町くらいまでが指定にふさわしいと言われる方もいらっしゃいますが、そうじゃない。江戸時代、明治になっても技術的にいいものがあります。そういうものはやはり私たちが後世に残すために指定していかなければいけないのではないかと考えています。また、民芸にしても素晴らしいけれど未公開というものがたくさんあります。
これらのものを市指定の文化財に、県指定の文化財に、そして国指定の文化財に上げていかなければいけないと思っています。
今、特に気になっている文化財はありますか。
ありますね。今、宮崎で幡頭神社の本殿を修繕しています。これは国の重要文化財です。脇社というのがあって、熊野社と神明社。これらが県の指定になっています。おそらく同時期に創建されたものだと思いますが、構造が小さいなどの理由で国ではなく県の指定になっているんです。これを国の指定にもっていきたい。氏子さんもだんだん少なくなってきていますし、海岸に近いということもあって傷みも激しい。保存していくためには25年毎に屋根を直さなければいけないのですが、寄付金を集めるのも大変なことですからね。国の指定になれば、地元の負担も軽くなります。そういう意味でも、後世に残すためにはやはり国に上げていかなければいけないと思っています。
また、吉良家の菩提寺である華蔵寺には経蔵があります。経蔵は市の指定ですが、やはり県の指定にもっていきたい。それだけ意義のあるものですから。他にも建造物や彫刻だとか古文書、お祭りの時に使用するものなど、いろいろと幅広くやっていかなければいけないと思っています。古い時代のものばかりではない。昭和のものでも指定していくという事例が出てきています。
昔のものをキレイにして保存していくことに、どのような意義があると思われますか。
我々の先輩がそういうものを作られて保存して守ってみえた。それを今度は自分たちが後世に残していくことが大事なんです。そこにはやはり土地の文化というものがあると思います。
それともう一つ。我々の先輩を検証することも大事なんです。例えば、5年後頃には、吉良家がこの西尾へ来て800年になります。こういう節目の年に今一度、吉良家とはどういう家柄だったのか。たとえば室町時代の頃、吉良家は国政において重要な地位にありましたが、その時の人を検証する。その人の功績があったからこそ江戸時代の吉良家というものがあるんです。
また、徳川家康公と吉良家との関係も大事な事です。このような流れのなかで西尾から何人もの大名が出ています。そういう人を検証していかなければいけない。それから、吉良家と関係が深い家の末裔には日本のマザーテレサと言われるくらいの方がみえました。そういう人がいたということを地元の皆さんが知り、その精神というものを知っていただくのは大事じゃないかなと思います。
これからどのような活動をしていきたいとお考えですか。
子供さんたちに地元の先輩のことや産業の歩みをよく勉強していただいて、知ってもらいたいですね。また、日本は今、観光立国と言われていますが、西尾の史跡や文化をもっと観光に活かしていただくことが大事なのではないでしょうか。たとえば、情報誌や雑誌に掲載されると全国から観光客が西尾に来られます。先日、国宝金蓮寺で来訪者に「どちらから?」とお尋ねしましたら「北海道から来ました」という方もおられたんです。ブームに乗るということです、上手に。世界へ宣伝する時代じゃないかなと思うんです。素晴らしい文化財のある他地域と結びつけて。
西尾には文化財だけではなく、人物的にも素晴らしい人がおられたわけです。たとえば、ひとつを掘り起こして「日本にもこういう人がおるんだよ」ということを世界へ宣伝することも大事なのではないかと思います。こういうことも我々の任務なのでなないでしょうか。
次世代の方々に向けてメッセージをお願いします。
地元のことを研究するというか勉強することが大事なのではないかと思います。知っていただいて、自分たちなりに咀嚼して、世界へ向けて発信していっていただきたい。それを次世代に活かしていってほしいと思います。
※この記事は2016年10月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。