今回の愛知県知事選で大差にて当選された大村秀章氏。そのパワフルな活動を推進していくエネルギーはどこから生まれてくるのか。故郷西三河への思いも交えて語っていただいた。

 大村知事は西三河の生まれ育ちですが、故郷の思い出をお聞かせください。また、地元に対する思いをお聞かせください。

 地元である愛知13区で15年間国会議員をやらせていただき、そして今回、愛知県知事5年目になります。西尾高校を卒業するまでは、碧南・西尾・安城、この辺を走り回っておりました。
 我々の世代は、学校から帰ってそのまま皆で集まって近所の原っぱやお寺、校庭でも日が暮れるまで遊びました。実家が矢作川堤防のすぐそばだったので、夏は矢作川で泳ぎました。油ヶ淵や吉良の宮崎にもよく釣りに行きました。高校へは自転車で橋を渡ってお茶畑を突っ切って通っていました。高校時代は楽しかったです。

 高校卒業後、東京へ出て、地元へ戻り政治家として活動させていただいて、その時々の節目で、まとまった期間を故郷で、それぞれの立場で過ごしてきました。仕事をする場所や立場が変わりながらも、やはり自分にとって生まれ育った故郷というのは自分自身だと思っています。ここで生まれ育ったことを誇りに思っていますし、ここで生まれ育ってよかったという思いもあります。そこにいた家族も友達も近所の人も地域の人も含めてすべての人にこれまでも支えてもらったし、これからも皆さんへしっかりとご恩返しができるようにやっていけたらと思います。

 政治家を目指されたきっかけは何だったのですか。いつごろ決断されたのですか。

 大学卒業後に勤めていた農林水産省では、政治と一緒になって仕事をしていました。役所の仕事というのは、今あることをより良くするということなんです。一方、政治というのは、さらにその先を見据えて日本の方向性・ビジョンをつくるという仕事です。国会の予算や法律、そういう仕事に関わらせていただくなかで、政治の仕事がしたいという思いが強くなりました。
 役所を辞めた20年前、まさに東西の冷戦構造が終わり、世界の体制も変わり、日本の政治体制も55年体制から大きく変わる時でした。世界も日本も羅針盤のない航海になる。バブル経済が崩壊して日本全体に悲壮感が漂っている。そういう状況のなかで、日本をもっともっと良くしていかなければいけない。そのためには政治だ、という思いで勤めていた役所を辞めて生まれ育った地元に戻ってきました。これがいちばん大きな政治を志した要因です。時代が大きく変わる節目に私は30代半ばでした。


 人生を歩んでいくうえで、どのような信念・目標をお持ちでしょうか。

 自分ひとりでできることではありません。常に人に自分自身も活かされているし、人に社会や地域や国が作られている。「天を敬い人を愛す」というのはすべての基本ではないかと思います。今自分がここに生かされているのはまさに天の配剤であり、まわりの人を皆好きになれば必ず返ってくるということを思います。そういう意味で常に多くの人に支えてもらっているし、多くの人達皆が元気を出して、幸せになれる社会を作っていきたいというのが自分の目標です。自分のやれることは何でもやるというのが自分自身のスタイルです。

 それともうひとつ。ここ最近、夏の高校野球大会の開会式の挨拶と始球式をやらせていただいていますが、その時の挨拶でよく使う言葉があります。ネバーギブアップではなくて「ネバーネバーネバーギブアップ!」。これはチャーチルが使った言葉です。第二次大戦の初期、ドイツ空軍にロンドンが空爆されて、まさに陥落寸前のところで国民に対して「絶対に負けない」と立ち向かい、ナチスドイツを撃退したという歴史があります。とにかく最後の一瞬まで諦めるな。そういうチャンスを君たちはもらったんだ。できるのは今この一瞬しかない。だから頑張れ、最後まで頑張れ、ということを申し上げています。まさに同じ気持ちです。これが自分自身のスタイルだと思っています。

 パワフルな活動のエネルギーはどこから生まれてくるのでしょうか。

 目標を立てて、ひとつひとつ実現していく。それが我々政治家の役割なので、それをひたすら愚直にやり続ける。それが自分自身のスタイルなので、普通にそれをやっているということかなと思っています。自分の気力体力がある限り続けていきます。

 地元の方々へメッセージをお願いします。

 47都道府県全部、津々浦々まで行き、いろんなところを見ました。景色も奇麗ですし、地場産業やいろんな文化伝統、食べ物も美味しいものがあって本当に日本はいい所だと思います。そのなかでも我が故郷西三河地域は、山、川、海、田園風景といった故郷の原風景を残しながら、伝統文化、伝統芸能、お祭りが盛んで、そういう良さを残しながら活力がある。全国的に過疎問題も気になるなかで、西三河は人口が若いんです。トヨタをはじめ自動車産業の吸引力というのは全国から多くの人を呼び寄せてくるというのもありますが、そういう活力もありますし、新たに産業や経済を興していくという活力もある。
 日本の故郷の良さを残しながら次の世代の子供たちをしっかり育てて、これからも元気に活力を持ってやっていける、そういう西三河が私は大好きです。


インタビュアー
大嶋 宏美さん
大嶋 宏美さん

1979年生まれ。岐阜県出身。出版社勤務を経て西尾市一色町にて書店を営む夫と結婚。町の本屋の嫁として日々奮闘中。趣味は散歩と読書。