道端の名もない草、枝先の冬芽、綿虫、言葉の端、みんな尊い命を宿しています。俳句と出会ってからというもの、ふだん見落としがちな何気ないものへの眼差しや問いかけがふえ、心がぽかぽか温もっているという服部くららさん。「幸せになり上手」と言われることもあるという、くららさんから、新鮮であたたかいものをいっぱい頂きました。

 小さい頃はどんなお子さんでしたか。

 家が大好きでお手玉、おはじき、人形遊び、読んだり書いたり。気弱で何もかもが遅い子だったと思います。

 何ごともゆっくり、丁寧にと。

 丁寧に暮らす、それは大切にしてきたと感じますが、テンポがややずれることにもなりますね。母はぽんぽん叱るのではなくゆっくり諭す、そういうタイプでした。私も子を授かってみて父母のありがたさを今更に思いますよ。自分が育てられたように子を育てる、そのことも実感している一人です。

 俳句との出会いはいつ、どんな時からですか。

 名古屋から西尾に引越してすぐにお隣の方から「俳句講座にお出かけになったら」と勧められました。三十三歳の頃で、初めての作品は「花影を選びて子犬ひとやすみ」という句でした。「あら、ワンちゃんにも選ぶということがあるのね、なんてかわいい」という気づきでした。先生から「俳句は感動した時に生まれるもので、作りあげてはいけません。それが基本です」と教わったことが印象に残っていますね。

 日々の暮らしの中の感動が生まれるたびに、俳句が生まれてくるということですか。

 「くららさんは幸せになり上手」と言われたことがありますが、そうかもしれません。例えば落葉が十センチ動いたことぐらいでも、「何か用事があってお隣の葉っぱのそばへ行ったのよ、きっと」とか。トンボと目が合ったとか。どれもこれも「今日の幸せの一つ」なのです。また最近ひょんの木(学名イスノキ)の実を見つけ鳴らしてみたんですが、ぶきっちょの私にひょんの笛は鳴ってくれません。でも鳴らないその実がどこか自分に似ているようで愛しいしいんです。そこで一句、「今日の幸とんと鳴らずの瓢の笛」が生まれます。鳴らないところを褒めるとか、切り捨てないというのも私の人生観かもしれないですね。

 小さい頃からの憧れというものはありましたか。

 ずっと日だまりのような人でいたいです。あの人のそばにいると、何か気分が変わるとか、安心してもらえるとか。歳を重ねるごとに、もう中は見えてもいいので、透きとおって生きたいですね。

 心が行き交うことを大切になさっているのですね。

 宮沢賢治さんのように「悩まなくてもいい」などとはとても言えませんが、寄り添えるような人にも憧れますね。


日だまりのような人でいたい―と服部さん(右)

 子どもたちにも俳句を教えていらっしゃるのですね。

 教えているというより、自然の中で子どもさんと一緒に真面目に遊び、そこで何かを発見したり、驚いてもらったりするお手伝いを15年ほど続けています。

 子どもさんと触れ合っていて、こちらが気が付くことも。

 勿論です。子どもさんはみんないとおしいばかりです。素直でダイレクトで、きらきらしています。先を生きている私どもは小石を投げる役目があると思っています。それぞれの子どもさんの心の湖にやさしく石を投げると思いがけないほど魅力のある波紋を生むんですね。

 それが子どもたちの俳句づくりにつながっていると。

 はい、その通りです。例えば「天国はもう秋ですかお父さん」「いちょうの葉あちこち散って反抗期」「友だちと歩けば森が春になる」「だんご虫地球が好きで丸くなる」「あじさいにさみしい色がかくれてる」もう、きりがありません。

 思ったことを本当に素直に表現していますね。

 言葉のキャッチボールを心がけています。「地球ってどんな形?」と投げかけます。すると「丸、球」とか言うんです。丸いものは他にも、りんご、けん玉、おまんじゅうなどと出たころ、意外なもの、だんご虫を見せて「どうして丸くなったと思う?」と問題を投げた時、だんご虫の俳句が生まれたんです。教育のもともとの意味は「引き出す」とはまさに納得ですね。子どもさんの感性はきっかけをつくれば無尽蔵ともいえますね。

 「たねまき」ということでもあって、大切なんですね。さて、これからやってみたいこととか、ありますか。

 今と一緒で、自然体で。嬉しいことに子どもさんも大人に近づいて「くらら先生、元気かな」なんて、気づかってくれます。それが、生かせてもらっている素かもしれません。

 幸せは身近にあるのに、気づかないでいる。

 そう、幸せは誰にでもある。気が付かないだけです。特に俳句を学んで、小さい人たちと出会うようになってから、ことのほか感じることですね。

 今、特に感じておられることはありますか。

 かの3・11は私たちを大きく揺さぶり、人の絆の大切さや自然への敬意をあらためて感じさせました。ということは、私たち生きているものが、多少なりとも変わらなければ申し訳がありませんね。町内、学校、家族の中で、思いやりとか、一緒に努力していこうとかいう気持ちを今一度確認し、その気持ちをもち続けるのも、やはり大切かと思います。
 この『マーゼン書籍店の手すり』という絵本は、私の宝物です。この本の中に、世界で初めて聖書を印刷したグーテンベルグの話があります。彼が試し刷りに用いたのは「エイギューゼ・クリーゼ」という言葉。この言葉を印刷したら、もう全ての本を刷ってしまったと言っていいくらい、言い尽くしていると。私はいさかいごとや悲しいことがあると、この言葉を唱えます。「エイギューゼ・クリーゼ」は、大むかしのヘブライ語で「愛は、すべて」という意味なんだそうです。

 素敵な言葉ですね。きょうは心に残るお話をありがとうございました。


インタビュアー
田中 ふみえさん
田中 ふみえさん

物語の語り部として、1993年より活動を始める。いのちの輝きをテーマに、様々なジャンルの語り作品を創作。上海万博上演作品に脚本を提供。NHK文化センター講師。西尾市在住。