ひたすら石に向き合う。石への思いと、己の思いが混じり合って、そこに生まれる祈りの世界──大仏師であり石造彫刻家の長岡和慶さんに、岡崎市東牧内町のアトリエで、お話を伺った。自らの体験を経て語られる言葉の数々は興味深い。

 先生は北海道でお生まれになったのですね。

 北海道滝川市です。札幌から車で一時間くらいのところです。僕がいた頃は雪が何メートルも積もって。その間、親は仕事が出来ない。厳しい自然環境の中で育ちました。

 その自然の中での体験が今の作品に生かされているのでしょうか。

 冬はスキー、夏は魚捕りや木登りをする。どこまで登ったらその木が折れるか、耐えられるかが身体で分るようになる。木一本見てもその健康状態が分かるようになる。ウグイ、フナ、ニジマスとかは、大自然の中では育つのに、小さなバケツに入れるとアッという間に死んでしまう。仏さんを作っている時に、これ以上行ったら(刻むと)、石が耐え切れなくなって折れてしまう。そこで、止められる技を身に付ける。僕が生きてきた環境は、いま仏像を作る上で非常に役立ち、支えになっています。

 いま人間が、「ここまで」という点が打てなくて苦しんでいる時代です。原発問題にしても、人間が神様の領域に踏み込み過ぎたのでは。もう少し引いたところで人間が満足すれば、十分いい世の中で暮らしていけるのに。大自然はごく自然な形で、先生に伝えたのではないでしょうか。

 人間は我欲というか、自分の欲で生きていく。人間は自然の一部です。それが分かっていない。放っておくと人間は地球にとって癌細胞になってしまう。人間は自然から離れて、傲慢になってしまった。自分たちが生きるために何をやってもいいと、潰し続けている。

 先生のお話を聞いて、仏像の中に先生の熱い思いがこもっていると感じました。

 仏像は人を救うために作られた造形です。お釈迦様の教えにそって忠実に造形化したもの。そこが人の心を打つ。人のために作られた像なのですね。

 そういった思いがあってこの道に入られたのでしょうか。

 上京して詩集を二社から出版し、札幌の三越の派遣社員をしていました。兄はすでに岡崎で仏像彫刻の修業をしており、その兄が、私の仕事を見に札幌に来て、「これがお前の一生の仕事なのか」と言った。何度も何度も、仏像への道をと誘われた。兄の熱意に押されて、僕もやっとその気になった。岡崎の石像彫刻専門店で、まず兄の指導を受けることになったのですが、厳しいスパルタ教育だった。朝から晩まで、土日も休まず仏像三昧。兄に連れられて、初めて奈良の興福寺の仏像を見た時、心が揺れた。八百年も伝わる仏像が生きて、何かを訴えている。波になって寄せてくるようなすごい感動を覚えました。


二度と同じものを作らないことで、新しい世界が見えてくるーと長岡さん(右)

 お兄様は長岡さんを兄弟として本当に愛していらしたのですね。

 兄は「これだけ厳しくするのは不動明王の気持ちだ」と言った。相手を助け、救って、正しい道に引っ張り上げていく。

 その思いが先生の心にしっかりと残ったのですね。

 ものづくりをするということは、言葉を確実に噛んで、咀嚼して自分のものにしないといけない。同じものを大量に作っていたのでは進歩しない。同じものは二度と作らない。二体と作らない。不二の石仏というか。そのためには自分自身に勝ち抜いていかないといけない。それは一番難しいこと。でも、その方向づけを、北海道で親が体に沁み込ませてくれた。それが今日を支えている。二度と同じものを作らないことで、誰もやったことのない世界が見えてくる。新しい発想を体に覚えさせていくしかない。

 ご両親への感謝が根底にあるのですね。先生の作品がたくさんの方の祈りになっているのかなと思います。

 相手の気持ちをなごませたり、柔かくするというのは、石を越えた意志というものが入らないと出来ない。僕はあくまで自分が必要な時、どうしたらいいのかを考えて、そこから突破口を見出していく。その段階、段階で自分を成長させていく。石の習性を見極めて、それに自分で半分合わせて、そこから、お互い話し合い、押したり引いたりしながら一〇〇%の方向へ、形を作っていく。その方が造形的な面白さがある。

 まるで人間関係みたいですね。

 人間と違って、石は痛いとは言わない。僕ら言葉を越えないとだめだと思っている。言葉は生き物と同じだと思って石と向き合うと、言葉が勝手に話す。石の言葉が返ってくる。言葉の動きをじっくり見ていると、この言葉が使えるようになる。言葉が生きていたら、心の中に入って生き続ける。生きた言葉を一寸ずつ入れて、一寸間を空けてあげれば言葉が生きてくる。

 作品を通して、お釈迦様の思いなり、観音様の思いなりを届けたいと…。

 僕が届けるのではなくて、その像が届ける。僕が届けようとする形は我欲になってくる。

 お経に込められた普遍的なもの、お釈迦様の教えは、二千五百年前から延々と続いてきているわけですね。その言葉の普遍的な何かを取り出して、それを石に彫りこんで行くということでしょうか。

 そうですね、それをしたい。でも、自分の力が強すぎると壊してしまう。柔らかすぎると融けてしまう。融けない状態の温度で、素材に自分を合わせるしかない。

 自分より大きいものとか、崇高なものとか、言葉に出来ない。先生は多分、目に見えない大きなものをそのまま受け入れて…。

 技巧に走った言葉は相手に通じない。自分の中で誰でも分かる言葉を使った方が理解してもらえる、入りやすい。情というか何かそういうものがないと伝わらない。自然といままでやってきたものが、自分を救ってくれる。壊れないような柔らかさを自然に持ち合わせないといけない。

 岡崎についての思いは? メッセージがありましたら、お願いします。

 岡崎には岡崎の良さがある。岡崎でないと学べなかったこともあるし、仏像を作る上では必要なところです。ただ、岡崎、三河というところは、徳川家康の流れが強すぎて保守的だから、新しいものを非常に警戒してしまう。石の修業にくる人も、また芸術的な活動をしている若い人もいる。そういう若い人達の芽を潰さないでほしい。本当のいいものというのは、人を育てないと続かない。一番必要なのは、疲れた顔をしているのを見て「ああ疲れて大変だね」と言う一寸した気持ち。それだけでも、その人は育つのです。

 どこへ行っても、ご両親とか、お兄様とか、故郷というものをしっかり胸に抱いていらっしゃる姿に感動しました。ありがとうございました。


インタビュアー
田中 ふみえさん
田中 ふみえさん

 物語の語り部として、1993年より活動を始める。いのちの輝きをテーマに、様々なジャンルの語り作品を創作。上海万博上演作品に脚本を提供。NHK文化センター講師。西尾市在住。