蒲郡でまだ水車が回っていた明治36年、やをよしは初代梅吉が二代目義二とともに創業した。当初は八百屋とうどん屋と菓子を売る店だったが、後にうどん一本に絞り、現在に至っている。当時、親しみを込めて呼ばれていた二代目「八百屋の義っちゃん」が転じて「やをよし」の屋号となった。
江戸時代前期には、江戸にうどん屋がたくさんあったといわれている。中期になると蕎麦がもてはやされ、うどんは主役の座を明け渡していく。そのためうどんは中部、関西を中心に残っていき、三河にも地元の人たちの日常食としてうどんが継承されていったといわれている。
三河では昔から地元でとれる良質の小麦を使ったうどんが各家庭で作られていた。また、豊橋市の隣にある小坂井町は江戸末期に「小坂井村の茶屋はうどんを名物にしていたうどん町」といわれていたという。
やをよしでは「先代からの四つのこだわり」を大切に継承している。
〈壱〉足踏み、捏ね、寝かしを繰り返し、二日かけてじっくり仕上げる。
〈弐〉厳選された最高級宗田鰹節のみを使用し当店にて蒸し削りを行う。
〈参〉県内の特級生引溜まり、特級白醤油を使用する。
〈四〉オリジナルメニューや期間限定メニューを用意する。
この四つのこだわりは、機械による製麺がほとんどになった今日でも初代からの味と技法を守り、五代目広志さんが今に伝えている。
愛知県知事賞を受賞した「ガマゴリうどん」の元祖、竹島うどんは、地元のアサリを使用した逸品で、知る人ぞ知る。
※この記事は2015年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。