岡崎市の市街地を走る国道一号線。矢作橋のすぐ西。車の騒音の絶えない国道に並行する旧東海道(矢作町)。あまりに対象的に、ここは静かに時が流れている。
かつては、洋服店、呉服店、八百屋、魚屋など商店が並び、買物を楽しむ人たちで賑わった。和菓子店も多く、四店が商いをしていた。今は唯一、近江屋本舗だけが、創業100年の暖簾を守り続けている。
「時代に受けるもの、喜ばれるものを考えていく。新しい味を生みだしていく。それが暖簾を守ることになると思います」と、三代目店主、黒田紘右さん(66歳)は語る。
創業は明治44年。黒田さんの祖父三男三郎さんは、安城の農家の三男だった。菓子職人を目指し、浜松の和菓子店、近江屋で修業。そこで女性ながら同じ菓子職人を目指す「ちか」さんと知り合う。当時としては珍しい恋愛結婚だった。長男が生まれた年に、岡崎の現地へ。当時このあたりは製繭工場が多くあり、その一軒を買って、近江屋本舗を開店した。
祖父は50歳で引退したが、祖母ちかさんは熱心だった。77歳で亡くなるその日まで菓子を作り続けた。父延夫さんが二代目を継いだが、紘右さんは子供の頃から「お前は三代目だから、しっかりしなければいかん」と祖母から言われていた。
紘右さんは高校を卒業すると、東京の和菓子専門学校へ。洋菓子店にも一年勤めた。祖母から「洋菓子も習った方がいい」と言われていたが、祖母自身も興味があったのでは。
時代の変化に対応
父の片腕だった叔父が入院したことで、紘右さんは岡崎に帰ることに。
当時はまだ和菓子といえば、結婚式や法事の引き出物が中心。店売りは少なかった。薄皮饅頭、黒糖饅頭、羊羹くらい。しかし、時代が変わって、結婚式等の菓子は出なくなった。
店売りの新製品を考えなくてはならない。紘右さんは和・洋の組み合せでいこうと思った。ここで洋菓子の技術が生かされた。
その中の一つが「夢大福」。従来の大福のイメージを越え、生クリームをふわふわの餅で包む。生クリームは抹茶、小倉、ストロベリー、キャラメル、レモン、マンゴーなど九種類を揃えた。とろけるような甘い食感が受けている。
まず、おいしいものを
紘右さんは、三河の同世代の和菓子店店主たち七人で、研究会を作り、情報収集したり、教えあったり。とてもいい刺激になる。年一回は視察旅行にも行く。常に創造意欲を欠かさない。
「人に迷惑をかけるな。お客様を大切に」の教えを受け継ぐ。加えて「まず、おいしいもの。いい材料で、上手に作ること」を心がける。
店舗の移転、多店舗化も考えたという。が、今は「いかに大きくしたか」ではなく、「いかに長く続けたか」を大切にしたいと語る。四代目になる長男の章敬さんも一緒に働く。着実に父に近づいている。
※この記事は2010年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。