株式会社金トビ志賀は、大正6年(1917)の創業。全国でも珍しい麺用粉専門の製粉会社である。今も創業者が石臼で挽いていた頃からの丁寧な仕事を心がける。小麦独特の甘く、風味のある金トビの小麦粉は、60年以上に亘って県内の有名うどん店で使用されている。挽きたての香りをそのままに生かした金トビ麺のファンも多い。
明治26年、名古屋市西区で生まれた創業者の志賀八五郎は、幡豆郡三和村の矢作古川沿い(現在の西尾市)の水車小屋で修業する。当時は、水車を回して石臼で米や麦を搗いたり、挽いたりしていた。志賀家は、もともと現幸田町の出身で、三河地方には縁があった。水車小屋の経営者も同じ志賀姓だった。
八五郎はかねてから独立を望んでいた。修業を終えると、妻子とともに、旧宝飯郡蒲郡町大字府相に移り、開業した。大正6年8月だった。
電動機1馬力(1台)により、地域の人たちが大八車などで運んできた米麦の賃搗き、賃挽きである。物々交換もありだった。
創業時の財産目録は、2斗張り棒杵式精米機4台、同精麦機1台、石臼式製粉機1台、同米粉製粉機1台、モーター1馬力1台(買収価格380円)、小麦10俵、米1俵、丸麦2斗、大八車1台、自転車1台、1か年の前払家賃45円。
八五郎の確実で丁寧な仕事は、当時口コミで広がっていった。
戦時中は企業整備による中断もあったが、未利用資源製粉として復活。昭和25年には株式会社志賀製粉所(資本金250万円)を設立。製粉工場本館も建設した。
八五郎は空高く舞うトビの姿に夢を重ね、小麦粉のマークを「トビ印」と定める。さらに、名古屋城の金鯱への憧れと神武天皇の「金鵄」の故事にならって、最高品質の小麦粉を「金トビ」と名付けて売り出し、話題となる。
昭和29年には原料精選工程に日本初のニューマシステムを採用。昭和35年、八五郎は会長に、社長に志賀甚一が就任。売上げも順調に伸びていった。
国際品評会で金賞も
昭和44年、超大型ロール採用の新乾麺工場が、50年には本社新社屋が完成。52年に浜町工場が新設された。63年に志賀弘嗣が3代目社長に就任している。
平成12年、株式会社金トビ志賀に社名変更。創立90周年の平成19年には志賀弘嗣が会長に、志賀重介が4代目社長となる。20年には愛知ブランド企業に認定。22年には「夏味のうどん」がベルギー政府の国際品評会であるモンドセレクション2010金賞受賞、24年には「釜揚げうどん」が同セレクション2012で金賞を受賞している。
手打ち職人も評価
「創業者の精神を受け継ぎ、小麦一粒一粒から金トビめんを作っています」と志賀重介社長は語る。手間ひまかけ挽いた小麦粉は、香り高いまま、手打ちの技を取り入れた製麺工場で製品化される。味のある小麦粉は一流の手打ち職人から「安定して風味、コシのあるうどんができる」「水回しをすると小麦の甘い香りがする」と評価されている。
「小麦本来のおいしさを一人でも多くの人にお届けし、地域のみなさんの信頼に応えたい」と志賀社長は話している。
※この記事は2012年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。