岡崎市本町通りに建つ藤見屋。


 四百余年の昔、家康公の祖父松平清康公が家臣大久保忠茂の武功をほめてその望みをたずねたところ、忠茂は固く辞退しましたが、再三の仰せに断わり難く、されば領内市場の税金を免除してほしいと申しました。清康公は何か仔細があるものと望みを許して徴税を免除したところ、諸国の商人が手をたずさえて集まり、屋並は揃い市街は発展して、五万石でも岡崎さまはお城下まで船がつく……と世にうたわれる様な賑わいをみせました……(藤見屋の「五万石の由来」より)
 一忠臣の経済的けい眼によって基礎を定めた岡崎のまち。五万石でも東海道の重鎮であった城下の面影を記念すべく、初代藤見屋の当主が苦心の結果、矢作川を上り下りした船をかたどった銘菓「五万石」を案出。うるち米と上質の砂糖を主原料に焼き上げた香ばしさは、今もそのままに変わらぬ味を伝えている。
 このお菓子の名前の元となった民謡が「岡崎五万石」。岡崎城のすぐ近くに乙川があり、そこから矢作川、三河湾へと通じているので、水運が発達。舟唄、木遣り唄(木を運ぶ際の唄)としてこの唄が生まれたと言われている。後に三味線を付けてお座敷唄となったり、昭和初期には野口雨情らにより同じ歌いだしで「岡崎小唄」が作られた。さらにテンポの良い「五万石おどり」となり、アレンジされつつ広まって地元に根付いている。

風味よく、ポリポリ

 五万石は米粉、砂糖、ケシの実を使って作られた、帆掛け舟をかたどったお菓子。今も昔と変わらない原料と製法で伝統を守る。創業当時から味を変えておらず、藤見屋の看板商品として君臨している。
 風味良く、ポリポリ食べていると止まらなくなる。「最近は硬い食べ物が減ってきたせいで、小さい子供たちは歯があまり鍛えられず育ってしまいます」と、店主。そこで掲げた標語が「噛む子は、育つ。」
 お菓子は「五万石」(32g157円)のほか、カステラに餡をサンドした「岡崎音頭」(1個110円)、牛乳と卵のクリームが入った蒸し菓子「まどか」(1個135円)、柚子・あづき・黒糖の三つの餡を納めた最中「三つ葵もなか」(1個130円)などバラエティに富んでいる。伝統的な作り方にこだわり、防腐剤・保存料は一切使用せず、昔からの味を伝えている。
 創業は明治28年、115年になる老舗だ。初代の祖父、西山愛治さんが殿橋の北で店を構えた。「武士の出で、足袋屋に勤めていたが、目を悪くし、菓子屋に入り菓子作りを身に付けたと聞いた」と現社長で三代目の育男さん(79歳)は語る。昭和八年に現地に移転。育男さんが三歳の時だった。その後戦災で焼失、再建した。
 祖父の愛治さんは六人兄弟の長男として生まれた。岡崎市の名誉市民である鐘渕紡績社長の津田信吾、豊橋の桜丘学園創設者の満田樹吉は、いずれも愛治さんの弟である。


帆掛け舟の形をした五万石。岡崎を離れた人が懐かしくて、取り寄せるという。

岡崎音頭(左)と、まどか


根強くしのべ…

 祖父は「踏まれても踏まれても、根強くしのべ道芝の、やがて花咲く春のくるらん」と、口にしていたことを思い出すと育男さん。父の国雄さんが二代目。三代目の育男さんは住み込みで働く従業員が常に七人位いて、忙しかったと当時を振り返る。四代目である育男さんの長男、高弘さん(46歳)は菓子専門学校に学び、伊豆の菓子店で修業を終えた。
 「五万石」の伝統菓子を四代にわたって守りながら、新しい和菓子作りにも挑戦している城下町の菓子店だ。


三代目育男さん(左)と四代目高弘さん


五万石 藤見屋

所在地
岡崎市本町通1-4 Google Map
電話番号
0564-21-0919
ウェブサイト
http://gomangoku.com/