初代本田安太郎がこの地で茶の栽培を始めたのは百余年前の大正初期。屋号を春香園茶工場として玉露の製造を始めた。当時、この地域では養蚕業が盛んだったが、茶業に業代わりする農家も多かったという。昭和5年、二代目本田明治へと代替わりし、玉露と碾茶の製造が本格化していく。二代目は、西尾市茶業組合組合長、愛知県茶業連合会会長を務めた。当時、西尾茶は全国製茶品評会碾茶部門で農林水産大臣賞を受賞し、品質の高さが評価された。
昭和41年、三代目本田忠彦により葵製茶有限会社が設立された。製茶工場を新築するなど、碾茶の生産能力が年々拡大していった。この頃から葵製茶は、生産農家から抹茶問屋へと変わっていく。西尾茶独特の直射日光を遮る栽培手法も、わらを編んだ菰を茶の木に直にかぶせる「直被せ」から、棚を組んでよしずを渡し、その上にわらを被せた「本簀がけ」へ、やがて、寒冷紗(黒いネット)へとなり現在に至っている。手間暇がかかるが、この覆いをすることにより苦味の素となるタンニンを抑えて旨み成分のテアニン(アミノ酸)を引き出す効果があるという。これが西尾茶の特長となっている。
平成12年、有限会社を改め株式会社葵製茶となると同時に四代目に、本田綾乃が就任。有機JAS認証取得、ISOの導入、新工場完成、愛知ブランド企業認定取得などの躍進を続け、平成19年から海外取引が始まる。北米L.A.の子会社「AOI TEA COMPANY」を設立するなど大きな転換期が訪れる。
そして平成27年(昨年)、アメリカの販売拠点で7年程勤めて日本に戻ってきた本田忠照氏が五代目に就任。「これからは海外進出がカギになってきます。それを踏まえて、安全・安心な抹茶を世界へ向けて広めていきたい。それによって我が故郷西尾を見直していただける!」と五代目は目を輝かせる。「常に、あくまでも、誠実に真剣にお客様と向き合いながら、縁を広げ絆を強めていくこと」という初代から貫いている葵製茶の心は、今も脈々と受け継がれている。
※この記事は2016年10月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。