明治33年、初代 志賀甚之助が製粉製麺業を西尾市岡ノ山近辺にて創業。当時は水車を利用した製粉場だったが、大正14年になると電力による製粉を開始した。
 二代目 志賀政治が代表を継いだのは20代と若かった。当時は戦時中で食糧不足だったため製粉業を営んでいた政治は徴兵されず家業に精を出した。昭和7年に現在の所在地である西尾市桜町に移転。22年に合資会社志賀製麺場を設立し、31年に株式会社西尾志賀製粉所に改めた。そして31年、日本初(東洋初)の国産ニューマ装置の製粉設備を完成。さらに42年、7階建精選設備を完成させ、政府指定営業倉庫150坪を建設、コンクリートサイロ1280tの建設など躍進した。二代目 政治の時代に西尾製粉の母体がつくられたという。
 昭和50年頃、志賀甚太郎が三代目を継ぎ、54年にコンクリートサイロを2610tとし、58年に加熱圧ペン設備を新設、61年に試験研究室を新設、麺用冷蔵庫が建設された。
 時代は平成へと移り、四代目に鈴村氏、五代目 高木氏、六代目 倉橋氏、七代目 金武氏(現代表)と代替わりしていった。
 近年では、小麦の原種である古代小麦に目をつけてスペルト小麦を商品化。また、西尾市の特産品である抹茶を取り入れた乾麺の開発。食べ物において宗教上の制約があるイスラムの方々も安心して食べられるものを製造できるハラール認証を取得。たこ焼きやワッフルなどに使用するミックス粉のライン設置など、新たな商品開発にも積極的にチャレンジしている。
 「食は命の源です、そうした源を作る私たちの責任を厳しく受け止めて、安全・安心な小麦粉をお届けすることが私たちの技術の見せ所であり、使命です」と志賀正和専務は初代から変わらない志を語ってくれた。


初代 志賀甚之助

二代目 志賀政治

三代目 志賀甚太郎


西尾製粉株式会社

所在地
西尾市桜町中新田31-2 Google Map
電話番号
0563-56-5181
ウェブサイト
http://www.nishio-seifun.co.jp/