今では珍しい薪・炭の専門店である。
初代・浅井敬次郎は吉良町の出身。三河木綿の販売で財をなし、明治36年、西尾の現在地に「三河屋」の暖簾を上げた。当時は薪、炭が生活の要であった。七輪に炭火で魚を焼き、薪で米を炊いた。
炭は奥三河の足助や稲武で焼いていた。炭切り場で切った炭を木炭自動車や牛車で運んでくる。それを西尾・幡豆一帯に販売する。三人程の従業員と共にフル回転していた。当地では一番の販売量を誇った。
西尾市中町にある店は昔ながらの佇まい。かつて、中町は西尾城下町の中でも侍屋敷と町屋を結ぶ中心的な街路の一つで、この町で日用品のほとんどが満たされていたという。
炭の利用も多様化
店へ一歩入ると、各種炭の見本が並べられ、奥には出荷を待つ炭たちが控えている。
店内には粋な茶道具も置かれ、火鉢もある。浅井叔代さんがお茶を入れてくれた。四代目になる主人を亡くされ、今は叔代さんが暖簾を守る。
紀州備長炭(料理、インテリア、床下の湿気除去)、樫木炭(火鉢用)、櫟炭(茶道用)、竹炭(消臭、インテリア)、岩手楢炭(火鉢、バーベキュー)、りゅうほう炭(料理、焼肉)など、炭の利用も多様化している。でも、経営的にはきびしい状況にある。
代々の建物を守る
現在の建物は昭和7年の建築。釘などを使わず、梁や柱はホゾを組んで建てた日本建築である。よって、8年前の道路拡張の時は、曳き屋で家屋を移動した。つまり、じっくり時間をかけて、家屋をそのままに、奥へと移した。今では二度と作れない伝統的な建物であり、先祖の思いの入った大切な財産であるからだ。
叔代さんは今も毎朝、店内はもとより、店の前から両隣りまで、きれいに掃除をする。長年の習わしである。「お客さまを迎えるのだから当然です。何ものも美しく、大切に使うよう心がけています」と言う。
家屋を変えず壊さず残したのも、代々からの無言の教えがあったからであろう。
東日本大震災後、薪や炭の価値が見直されている。ここでは量り売りもできる。叔代さんの笑顔が迎えてくれる。日本人の心根と知恵が生きている。
※この記事は2012年07月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。