創業者 成瀬徳治と当時の製材所

創業者 成瀬徳治と当時の製材所


令和3年(2021)に創業から100年を迎える総合建設会社ナルセコーポレーション。初代の成瀬徳治、二代目の敬一、三代目介宣、四代目日出登と、人を支え人に支えられながらそれぞれの想いを胸に代々のバトンを繋いできた。


日本のデンマークとして社会インフラ整備が進む安城市内

日本のデンマークとして社会インフラ整備が進む安城市内

初代の成瀬徳治が安城に「成瀬組」を創業したのは、大正10年(1921年)のこと。
当時安城では社会インフラ整備が進み、東海道本線の安城駅が完成し、愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道)や碧海電気鉄道(同)が次々に開通するなど安城市街地が形成されていった。


このような時代に、建設の資材となる木材や石材を運ぶ個人営業の請負師として第一歩を踏み出す。鉄道の枕木も運んでいた。当時は牛やリヤカーで木材や石材を運んだらしい。建設業の仕組みもまだ形成されていないころ、熱くてお願い上手であった徳治には人望があり、コツコツと苦労しながらも事業を拡大させてゆく。


太平洋戦争が終わり、日本の社会は大きく転換する。街の復興を担う建設業の在り方も新たに整備された。建設業法が昭和24年(1949)に制定され、工事を請け負う会社は建設業の許可を得ることが定められた。そこで、昭和25年(1950)に徳治はいち早く株式会社成瀬組を設立。同年、大工を集めて建設業登録を行った。
今日に至る総合建設会社としての成瀬組の歩みは、ここから始まってゆく。戦後、新しい国土を作っていくためにインフラ整備が拡大。成瀬組が受注する請負工事も増えていった。

日本が高度経済成長の真っ只中の昭和40年(1965)、二代目の敬一が社長を継ぐ。イケイケどんどんの時代ではあったがそれに甘んじることなく、人材を大切にする敬一の姿勢は成瀬組の基盤を固めた。社員一人ひとりが安心して仕事に取り組めて、その家族も幸せになれるように福利厚生の仕組みを整えたのだ。その後、成瀬組は着実に実績を重ねながら技術力とノウハウを蓄積、官民の発注者から高い評価を得る会社へと成長し、平成4年(1992)、株式会社ナルセコーポレーションへと社名を変更。本社を現在地に移転させる。

平成7年(1995)に、三代目社長として介宣が就任。この頃は「失われた20年」とも呼ばれる経済低成長の時代である。日経平均はどんどんと下がってくる中、介宣はこれを転機と捉えた。劇的に工事量は減ったが、それでも社員はしっかりとナルセコーポレーションを信じてついてきてくれた。「やはり人材はなくてはならない柱」と語る介宣は「よろず屋」として地域の幅広い建設ニーズに応え続けた。

創業80周年を迎えた平成13年(2001)、ナルセコーポレーションは建築事業と土木事業という大きな2本柱に加えてもう1つ、住宅事業という軸を据える。福島にある自然素材を用いた家づくりを行う工務店との出会いが「環境と対話」をうたうナルセコーポレーションの考え方にマッチしたことで方向性が決まったという。

その想いをカタチにするべく平成14年(2002)には隅々まで本物の木を用いた「香りの家」、平成20年(2008)にはお客さまのニーズを考えた「四季の家」、そして100周年を節目に、人と環境にちょうどいい「ナルセノイエ」を家づくりの柱とした。


ナルセノイエ

ナルセノイエ


「お客さまに支援していただいて100周年を迎える社長に就任したのは、平成30年(2018)11月のこと。「社員には信頼・責任・安全・協和の大切さを伝えています。時代は変化するけれども、人の手が必要なものは変わらないでしょう。だからこそ、100年先も私たちは人づくり企業でありたい。どのような問題でも解決できるように成長を重ね、社会に役立つ企業になりたい」。


外観

外観

一世紀を迎えるナルセコーポレーションに受け継がれてきたものは、生まれ育った街を良くしたいという想いとそれぞれの「おれはこれだ」という信念。それを引き継ぐ四代目もまた、己の信じる道をひた進む。


株式会社 ナルセコーポレーション

所在地
安城市横山町寺田35番地4 Google Map
電話番号
0566-76-2175(代表)
ウェブサイト
https://www.naruse-co.jp/
FAX
0566-77-1473