味噌を製造する老舗、合資会社 八丁味噌(屋号 カクキュー)の初代・早川久右衛門勝久は、今川義元に仕える家臣であった。桶狭間の合戦を契機に岡崎へ落ち延びて願照寺に逃げ込み、そこで味噌造りを覚えた。その数代の後に、家康公の生誕地である岡崎城より西へ八丁(約870m)の距離にある岡崎市八帖町(旧八丁村)で味噌屋を創業したと伝えられている。敷地内には工場以外にも史料館や売店、軽食処などの施設があるため「八丁味噌の郷」と呼ばれている。
この地は、東海道と矢作川の交わる水陸交通の要であり、大豆や塩を入手しやすく、花崗岩質の地盤から良質な天然水にも恵まれた、味噌造りにとって三拍子揃った立地条件だった。さらに、矢作川に抱かれた気候風土が醸造に調和して、八丁味噌独特の風味を醸し出す大きな要因にもなっている。
カクキューでは、創業当時の味や香りを再現しようとする試みが8年程年前から行われている。この試みのきっかけとなったのが、創業当時に使用されていたとみられる「矢作」と呼ばれる在来種の大豆の存在を「大豆100粒運動を支える会」の活動を通じて知り、2007年に農業生物資源研究所から種子を入手したところから始まった。
当初はプランターでの栽培から始まり、徐々に栽培量を増やしていったという。一般に流通している大豆の品種と比べると栽培条件が厳しく、種用の大豆を確保するのがやっとという年も何度かあったが、2010年に初めて仕込むことができた。通常の大豆では2年以上熟成させれば出来上がるが、大豆「矢作」は3年を超えてようやく味がまとまってきたという。
苦労した甲斐があり、第一号となる桶の味噌が熟成し、昨年の11月に「矢作大豆使用 八丁味噌」(創業の味 桐箱)という商品名でいよいよ発売が開始された。「製法は創業当時と同じですが、大豆で味が変わるんです」と語るのは十九代目当主である早川久右衛門。通常の八丁味噌よりもまろやかですっきりとした味が特長で、焼き味噌、生味噌として食べても美味しく、味噌そのものの味が味わえる。
※この記事は2014年01月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。