三河一色のえびせんべいは明治時代中期、かまぼこ文吉、ひげ貞が開発に関わったと伝えられている。現在も一色界隈に点在するえびせんべいの老舗では伝統の技と味を守り抜き、二人の先駆者の心意気を今に伝えている。
丸源えびせんべいの創業は大正8年、初代稲垣源一氏によって開業された。当時は、調味料と澱粉を混ぜ合わせた「ネリ」を、小さな鉄板で挟む「カタ」に入れて、一枚一枚手で焼いていた。カタは丸いものが主流で、四角いものもあった。家族総出で汗を流し、焼き上げたえびせんべいは店頭で売っていた。その頃、一色ではアカシャエビが豊富に獲れて、おかずにしたりお味噌汁に入れて食べていたという。
初代の一人娘である光代さんが丸源を継いだのは昭和40年頃。この頃はとても繁盛し、毎日が忙しかったという。二代目光代さんは、新鮮なエビを仕入れるために毎朝一色漁港のセリに出掛けた。男衆のなかで紅一点だった。この頃になると、オートメーションで大量生産する会社組織の店と、手焼きを頑なに守り抜く店に二極化していった。丸源は初代から続いてきた手焼きを守り続けた。
現在の代表である三代目充子さんが母から受け継いだのは平成13年。この頃になると以前のような盛況は影をひそめ、業績は下がり、店を閉める同業者も次第に増えていった。しかし三代目は「母から受け継いだえびせんべいを守って続けていきたい」という気持ちでがんばった。三河一色に伝わる昔ながらの手焼きえびせんべいは伝統文化でもある。三代目は「あと5年、創業100年までがんばってみようと思っています」と語る。
仕事場で焼き上げたものを店頭販売するのが基本だが、通信販売でも購入できる。常連からは電話注文も多い。
※この記事は2015年01月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。