連尺通り角に建つ大正初め頃の店。正面が初代の利三郎さん、その右が庄一さん。

和18年、戦中の頃。

昭和29年9月、新築開店。


 日本人が大切にしてきたもの。その「信じる心」「先祖を大切にする心」が、今忘れられている。若い人にも「日本人でよかった」と感じてもらいたい。「そう、それを伝えていくことが、私たちの役割なのでは」と、加藤善啓さん(59歳)は考えている。きものは、日本の文化にふれる一番の近道なのだから。

日本人の心学ぶ

 加藤善啓さんは、まる庄呉服店の三代目。今は毛皮、宝石、洋服などを扱う呉服店もあるが、きもの一筋の商いを続けている。  初代の祖父利三郎さんからは「お茶も花もたしなむ文化人たれ」と教えられた。祖父はお寺に寄進をする、篤い信仰者だった。父庄一さんからは、人を信じる情の大切さと、季節を愛する日本人の心を学んだ。  まる庄呉服店は、江戸時代の享保年間初期より東海道矢作の宿で、灯明の油、小間物、古着などを商っていた。  明治42年、矢作町にて呉服店の暖簾をあげる。矢作橋が現在地に移ったことから人の流れが変わり、大正5年、今の連尺通り(旧東海道)に移転した。  岡崎は「商人のまち」といわれ、その中心が連尺通りだった。当時、連尺には27件もの呉服店・袋物店が店を構えていた。(現在は10店程)  しかし、昭和20年、戦災で店は消失。23年に再建、29年に法人「まる庄」として新築開店にこぎつけた。  父庄一さんは、岡崎市中心街の活性化に奔走した。岡崎ショッピングセンターレオ(後にクレオ)の建設にも尽力。キーテナントとして松坂屋を誘致した。地元商店は本店を閉じてレオに出店をという国の指示に自ら従った。出店場所も他店を優先した。(昭和48年レオ開店)  「昔から祭り事を支えるのは呉服店の使命だった。父は自分のためより人に尽す人。天才的なほど私心なくして人を信じることのできた人だった」  連尺の店は一旦閉じたが、「画廊まる庄」として改装オープン。これが地域の文化人の評価を得ることに。その後、呉服店として復活できることになったが、「画廊をやめないで」の声が上がった。画廊は継続し、二階を呉服店(きものサロン)とした。

浄瑠璃姫物語の復曲

 加藤さんも、岡崎呉服協同組合理事長はじめ、和装教育国民推進会議愛知県代表理事など、数々の役職を務め、地域や業界のため尽力を惜しまない。  加藤さんは、平成14年、岡崎に伝わる「浄瑠璃姫物語」を文楽で再現してもらおうと、人間国宝の竹本住大夫師匠を訪ねた。その熱意が実り、平成16年には、岡崎シビックセンターコンサートホールで、浄瑠璃姫・牛若丸「源氏十二段」が復曲公演された。実に300年ぶりの復活だった。(岡崎呉服協同組合主催)

岡崎の文化を大事に

 竹本住大夫師匠は「浄瑠璃姫を通じて、岡崎市さんや岡崎呉服組合さんと良いご縁ができたと思うてます。岡崎にも岡崎の、ずっと昔から受け継がれてきた文化や芸術があり、これからもその文化芸術を大事に守っていかれることで、まちに潤いができ、情緒のあるまちとして発展していくのではないでしょうか」と、著書に記している。  その後、岡崎市主催となった「源氏十二段公演」「文楽協会岡崎公演」などにも協力。一方、昨年10月には、奥山田の持統桜若木を薬師寺に奉納(植樹)する事業を実施(80人参加)。市内の小中学校での和裁や着付け指導など、和装教育にも力を入れている。  「私たち呉服商が地元に何ができるか、を模索してきた」と言う加藤さん。一粒のお米を大切に食べ、おてんとうさまに申し訳ないという思いが、日本人の心を律してきた。「日本にいて、うれしい、楽しい、の思いを伝えていきたい」と、語る。


まる庄呉服店(1階はギャラリーになっている)

三代目になる社長の加藤善啓さん。(ギャラリーで)


まる庄呉服店

所在地
岡崎市本町通2-1 Google Map
電話番号
0564-22-5151