伊與田佐一は飴屋 中登屋に弟子入りし、修行を積んで大正十一年(1922)に飴屋 中田屋を創業。次男の二代目武が屋号を継ぎ、もなかやゼリーを造り始めたが、なかなか商売にならなかったため新しいお菓子を模索していた。ちょうどその頃(昭和39年頃)中国から伝わってきたかりんとうに目を付けた。
当初は順風満帆だったが、昭和40年代後半頃から趣向の多様化に対応したいわゆるスナック菓子が大手菓子メーカーから次々に発売され、かりんとうは次第にじり貧になっていく。このような事情もあり、現在の店主である三代目晃浩さんは家業を継ぐ意志はなかった。しかし、商売屋一筋の家系で育った晃浩さんは平成9年(1997)、脱サラをして業績不振だったかりんとう造りに飛び込んでいった。「給料はいらない、かりんとう造りを手伝いたい」父親である二代目は猛反対したが、晃浩さんの決意は固かった。
バブルが弾けた頃から大手スーパーが乱立し、お菓子の安売り合戦が始まった。その影響もあり、中田屋が卸していた資本が少ない地域の問屋やスーパーは次々に姿を消していった。そこで平成18年(2006)頃、晃浩さんは決断する。下請けではなく中田屋ブランドをつくっていこうと。遺伝子組換えではない高価な菜種油を使用したり、地元三河産の大豆や玄米などを使用し、中田屋でしか作れない本物を目指した。
甘さをおさえた軽やかな食感、あっさり香ばしい中田屋のかりんとう。そのこだわりを求めて遠方からの常連客も多い。飴からかりんとうに商品は変わっていったが、すべてはお客様の「ありがとう」のために菓子造り一筋九十余年、かたくなに守る魂の味と技は連綿と受け継がれている。
※この記事は2013年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。