倉庫でみんなと

 カネ由商店は碧南市で112年続く三河焼の植木鉢や七輪、練炭火鉢などの燃料器具を販売している産地問屋である。

しかしその起こりは明治43年(1910)、もやしの生産販売であった。従業員18名で関東地区まで顧客を持つほど、勢いのある商店であったが、転機は大正12年(1923)に訪れる。死者や行方不明者は10万人を超える関東大震災が人々を襲ったのだ。これにより、多くの顧客を失うことになる。しかし、諦めなかったのがカネ由商店初代の鈴木善吉氏である。碧南市や高浜市で採れる三河粘土を原料に、燃焼器具の販売に転業しコンロやかまどの製造を行った。昭和16年(1941)より終戦まで最後の大浜町長も務めている。本店は名鉄碧南駅のすぐ近く。かつては本社倉庫まで線路を引き込んで、貨物列車で日本全国に製品を運んでいたというから驚きだ。


駅から倉庫


積み込み作業


創業者 鈴木善吉氏


二代目 鈴木由次氏


その後二代目の由次氏が跡を継ぎ、昭和25年(1950)には株式会社に改組。カネ由商店の「由」は二代目の名前から付けられている。燃焼器具の販売では日本全国のみならず海外にもその販路を広げていった。練炭火鉢は飛ぶように売れ、昭和54年(1979)には石川県和倉市にカネ由窯業を設立、メーカーとしての一歩を踏み出している。しかし、その後ガスや電気の普及に伴い、七輪や練炭火鉢の需要は減少の一途をたどる。


三代目の義昭氏にバトンを繋いだ頃であった。そこで同じ窯業でも三河焼の植木鉢製造に転向。一日に1万5千ほどの植木鉢を工場で生産していた。しかし、それも減少していく。プラスチックが主流となり、ホームセンターで安価で少量な商品に需要が高まったからだ。生産元は海外で、多品種少量の製品が求められるようになったのである。平成18年(2006)には工場の操業を止めた。

しかし転機は再びやってくる。それはネット通販の普及であった。それを担ったのは義昭氏の長女である由香さんの婿である四代目の健二氏である。平成19年(2007)にインターネット販売をカネ由商店でも始めることになる。そこではホンモノが求められた。直接商品を見ることができないので、良質な商品が求められることが三河焼の商品を販売するカネ由商品の付加価値となった。品質でのこだわりがきちんとお客さまに評価された結果である。

令和2年(2020)には新型コロナウイルス感染拡大によって、外出が制限されたことで、多くの人々が長期の巣ごもりを経験することとなった。これにより、新たな趣味や嗜好を持つ人が増えたことも転機だと言えるだろう。観葉植物ブームや空前のメダカブーム到来で、植木鉢やメダカを育てる鉢として三河焼が注目されている。

人生は良くも悪くも何が起こるか分からない。その中でも、良いものと真剣に向き合い、守り続けている人たちがいる。手にして、温かさを感じる三河焼。かつて、それを囲み、火をおこして、暖をとっていた温もりは、きっと100年後も愛されているだろう。



株式会社 カネ由商店

所在地
碧南市中町5-24 Google Map
電話番号
0566-41-2615
ウェブサイト
https://kaneyoshi.biz/