明治末期の連尺商店街

明治末期の連尺商店街


 岡崎城から少し歩くと見えてくるのは西三河最古の呉服屋。中に入ると彩り豊かな呉服や風呂敷、マスクなどが並び、粋に着物を着こなす七代目が迎えてくれる。


ここ『おおがや』の始まりは江戸中期。木町(現在の材木町)で機織りを家業としていたのが起こりだ。その後、文化元年(1804)に創業者である植田八三郎が現在の連尺に移転し、『大賀屋呉服店』を開いた。以来初代八三郎、二代目石芝、三代目藤四郎、四代目良二、五代目良平、六代目一郎、七代目浩一郎と217年に渡り、岡崎の地にて代々呉服屋を営んでいる。二代目の植田石芝(植田宗七)は当時俳人として名を馳せ、東海各地に多くの門下生を従えていた。その文才を受け継いで、七代目浩一郎も家業を継ぐ前は新聞記者を務めていた。お母さまが亡くなったことがきっかけとなり、「200年以上続いている呉服屋の歴史に幕を下ろしてはいけない」という想いで七代目を継ぐことを決意した。


内観

内観


『おおがや』のある『連尺通』は岡崎市で最も古い町。連尺通1丁目交差点から二七市通まで南北に抜ける道は、昭和初期までは『連尺ぐんない通り』という名称で呼ばれていたらしい。徳川家康の祖父松平清康の時代、その家臣大久保忠茂が市銭免除の楽市を許したのを契機に、各方面から商人が集まりこの地に市を形成したのが『連尺通』の始まりである。荷物枠である『連雀(連尺)』を肩から脇下にかけ、それを背負って物を運び歩いたため、江戸時代初期にこの通りを『連尺町』と呼ぶようになった。『連尺町』では家康の関東移封後、田中吉政が城主になって岡崎の城下町を整備し、東海道を岡崎城下の連尺町に通してこれを保護すると、次第に商業が発展していく。とくに呉服商・木綿商・荒物・酒屋・油屋・小間物など武士の日用品や衣類を売る店が軒を連ねて賑わいをみせていた。しかし、昭和20年(1945)7月20日未明に岡崎空襲を受け全町が焼失。戦後の町名変更により、『上連尺』は『本町』となり、現在の『連尺通』はかつての『中連尺』と『下連尺』の地域のみとなった。戦災前の『連尺通』は、呉服の町として多くの呉服屋が繁盛を続けていたという。現在は『おおがや』が西三河地区最古の呉服店となっている。


外観

外観


着物の販売を通じて、連尺通で心豊かな和の暮らしを提案し続けて来た。特に茶道や日本舞踊、着付けなど和のお稽古をたしなむ方の着物を得意とし、岡崎で商いを続けてきたことで、ここに住んでいる人々の好みを熟知している。近年では着付け講座や落語会、ランチ会、着物文化講座などの各種着物イベントも実施。敷居が高いとされる着物に興味を持ってもらうための取り組みとして、あの人気アニメに登場する着物の柄(古典模様)について学ぶ講座も開いている。今年2月からYouTubeチャンネルを開設した。

呉服のプロとして、新しい取り組みにも挑戦し続けている七代目。「変わらないものを突き詰めていくと、畳と着物の文化が日本の精神性を支えている。日本人は移りゆく季節を愛でるように所作を重んじて、その美しさに想いを込めてきた。なぜ呉服店が続いているのか追求すると、そこには日本人が欲している精神性の根本がある。このよき着物文化を伝えるのが自分の役割だと思った」と七代目は語る。100年前の美しいを100年後に伝えるために。伝統ある呉服の真善美を守り続けたいという心が、日本の文化を後世まで継承してゆく柱となっている。


きものの講座
「呉服屋さんのお話し会」風景

SNSを活用し、フィギュアスケートファン向けに好評の唐草風呂敷


おおがや

所在地
岡崎市連尺通1丁目4 Google Map
電話番号
0564-22-1249
ウェブサイト
https://oogaya.jp/