家康石像、道の駅藤川宿に設置されている石像の1/2スケール


 祖父が叩く、父がノミを手にする姿を日常に育った。その石に向かう真っ直ぐな姿を追いかけて今を精進する。創業百十余年、四代目戸松政洋は遠くを見るように語り始めた。
 明治35年、初代一松が梅園町で創業。「初代は狛犬専門の石屋でした。その頃の梅園町は石屋のまちで、二百軒以上はあったと思います」。石の文化が息づく岡崎で、どの石屋も活気に満ちていたという。
 昭和8年、二代目甚五郎の代となった。この頃から仏像も手掛けるようになる。「祖父はいつもニコニコしていて、酒好きの優しい職人でした。とにかく仕事好きで、工場で死にたいと言っていた程です」。岡崎天満宮の氏子総代を務めていた二代目は、動物好きで龍もよく彫っていたという。代表作は、岡崎の龍城神社に設置されている。
 創業の地、梅園町から矢作の石工団地に移転したのが昭和39年。昭和40年代になると三代目良夫が実際には会社をきりもりしていたが、二代目を立てて表向きの社長は二代目だった。


二代目甚五郎、工場前にて

二代目作の狛犬、京都 建勲神社にて


 平成初期に二代目が亡くなり、良夫が正式に三代目となる。「この頃から業績が下りはじめて7人程いた職人は半減。この界隈の石屋全体がこのような状況でした」。中国の石製品の安さに、日本での仕事はどんどん減っていった。
 平成20年、現在の社長である四代目政洋の代となった頃も石業界は低迷し、ここ10年で多くの石屋が廃業していったという。「神社で初代が彫った狛犬を眺めていると、何だかじ~んときます」。四代目が観音様を彫る時は、仏教の4つの言葉、諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教を胸に石を彫っているという。
 「岡崎メイソンズという私達石屋の集まりがあり、何とか岡崎の石文化を未来に残そうと活動しています」。全国から来場者が集まる東京エンディング産業展に四代目の作品も出品される。


四代目

四代目作聖観音、安城市崇福寺にて


石彫の戸松

所在地
岡崎市上佐々木町中切3-1 Google Map
電話番号
0564-31-2632