昭和20年代の小野印房周辺


 明治31年、初代忠太郎氏が岡崎市井田町にて印判業をはじめる。印鑑の需要がほとんどなかった当時、文字の知識や彫る技術があった初代は、筆で看板を書くなど揮毫で生計を立てていた。神社で貼り付ける納札も手掛けていたという。
 大正12年、後の二代目となる英一氏は17歳で神田神保町(東京)の印鑑店へ職人として修行に出た。2年後の大正14年、19歳で岡崎に戻り創作版画雑誌「版画」を仲間と一緒に出版。同年に創作版画雑誌「試作」も出版するなど、版画雑誌の最先端を手掛けていた。そして昭和3年、岡崎市龍田町へ移転して新たな店舗を構え、英一氏が二代目となった。商売は順調だったが昭和20年の岡崎空襲で店舗は全焼、同町内に移転して店舗を再建。その後昭和27年の区画整理により、またも移転を強いられる。店舗は、岡崎のメインストリートとしてこれから栄えていく康生通り商店街に移転(現在の所在地)。二代目の人生は波乱万丈だった。


二代目 英一氏

昭和20年代の店内

 昭和38年に修平氏が三代目となった頃、印鑑専門店小野印房は順風満帆だったという。当時の康生通り商店街界隈は再開発ブームで沸き返っていた。しかしバブルが弾け、平成12年(2000)を過ぎた頃から商売は苦しくなっていった。このまま続けるべきかという日々が続く時期、初代から古い付き合いがある大手企業から仕事をいただいて細々と商売をする状況だったという。
 絵画などの美術が好きだった後の四代目となる洋平氏は東京の大学を卒業後、デザイン系の専門学校へ。家業が落ち込んでいたため自分の技術を生かした新たなビジネスを卒業後も東京で模索していた。そして平成24年(2012)四代目となった洋平氏は、培ってきた技術と家業のノウハウを活かして新たなアイデアを次々にヒットさせていく。オカザえもんのスタンプが話題になり、トヨタ名車印鑑がヤフーのトップニュースになるなど爆発的なヒットで工房の機械は毎日フル回転という状況になっていく。今、四代目は、さらなる新しいビジネスの可能性を模索している。


現在の店舗

オカザえもんのスタンプ

トヨタ名車印鑑


小野印房

所在地
岡崎市康生通東1-22 Google Map
電話番号
0564-21-0194
ウェブサイト
http://www.ono-inbo.jp/