昭和初期頃の肴町の商店街、左手の白いテントが中善商店で、その前に立つ丸刈りの男が二代目善逸


 明治18年、初代高橋善兵衛は現在の西尾市肴町で中善商店を創業した。当時の肴町界隈は商店街として賑わっていたという。善兵衛は道具好きで、将棋・囲碁・琴・三味線・美術品・骨董品などを店に並べていた。芸者さんの三味線の修理なども受けていた。繁盛していたが大正になると業績悪化により商品を全て叩き売りをして赤字の穴埋めをしたという。
 大正中頃、商品がなくなってしまった中善商店を二代目善逸が継いだ。ゼロからのスタートだったが、豊田市の医院の娘スアを嫁に迎え、家族で頑張り、順調に中善商店を立て直していった。この頃から楽器をメインに扱うようになっていく。


昭和50年代、名古屋相互銀行跡地(西尾市鶴ヶ崎町)に移転して間もない頃の店舗

昭和50年代後期頃の店内


 昭和30年頃、三代目和平が継いだ。絵を描くことが好きだった和平は芸術大学を目指していたが、長男の善平がはやくに亡くなったため家業を継いだ。この頃は西洋の音楽文化が日本に広がりはじめた頃で、琴・三味線に加えてバイオリンやハーモニカなどの西洋楽器も扱うようになっていく。ヤマハがオルガンを全国に広めるために積極的に販売活動をしていたのもこの時期である。昭和40年代以降になると、オルガンからピアノがブームになっていく。それに伴って音楽教室が増えていった。当時はお寺や学校などの場所を借りて教室を開催していた。この頃西尾市ではブラスバンド・吹奏楽が盛んだった。このような背景があり、楽器の販売・修理・音楽教室で中善商店は大きくなっていく。そんな中、和平は好きだった絵画の道具を店に置くようになり、これが中善画廊の始まりとなる。昭和44年に合資会社中善楽器に屋号を改め、昭和50年に名古屋相互銀行跡地(西尾市鶴ヶ崎町)に移転。銀行の建物を改装して店舗にした。



現社長四代目英二郎氏

 平成17年、英二郎が四代目となる。この頃の業績はどん底だった。三代目が店舗を移転した時期はバブル真っ只中。土地価格が高値の時に店舗敷地を借金をして購入したが、バブルが弾けて土地価格は下落。この借金に加えて大口の問屋の貸し倒れなどもあった。どうやって立て直すか。英二郎はまず、美術品や骨董品、不動産などを全て処分し、健全にスリム化していった。そして平成14年頃、楽天市場ネット通販をはじめる。管楽器が主体で中古もやった。子供用のピアニカが飛ぶように売れた。この時期、楽器のネット通販をやっている同業者はほとんどいなかった。まさに時代の先取りで復活し、敷地内に新しい店舗を建て、旧店舗は中善画廊、新店舗は中善楽器となった。「地域に支えられて134年、これからも地域文化の発展、底上げのために貢献したい」と現社長である四代目英二郎は語ってくれた。


中善楽器

所在地
西尾市鶴ヶ崎町4-9  Google Map
電話番号
0563-56-3939
ウェブサイト
http://nakazen.com/