岡崎市康生通東に本店を置く「みどりや」が今年で100年を迎えた。
現在は取締役である4代目の松井洋一郎が化粧品店を5店舗経営している。
遡ること100年前、大正10年(1921)7月にみどりやは誕生した。初代の代表である松井弘の娘さんの名前が「みどり」であったのが由来である。
当時は化粧品店ではなく、玩具店。なんと500円の現金を元手に商売を始めたという。現在の相場にすると約50,000円で商売を始めたということになる。
「機会を活かせ」という資料が残っており、そこには「商売の趣味化」についての12項目が残されている。文学が好きで資料の中には武者小路実篤氏と写った写真も残されている。多様な人脈がありみどりやは大きくなっていった。
とにかく研究熱心で新しいもの好きであった初代は、玩具店だけではなく喫茶店も始める。当時の開店チラシが今でも残っている。赤と白のモダンなデザイン、何ともお洒落なチラシだ。
そんな順風満帆なみどりやに転機が訪れたのは太平洋戦争末期、昭和20年(1945)の岡崎空襲。爆弾を投下され、連尺町や康生町などの中心部が焼かれてしまった。康生町では100件近くのお店が焼かれている。その時、立ち上がったのが弘であった。いちはやく低利復興資金2,000円を借り入れて簡易バラックを購入、そして商店街を作る。こうして康生町は活気を取り戻していった。
二代目を受け継いだ松井茂雄は初代にも勝る、まちづくりに熱心な人物。みどりやの経営以外に中心市街地の再開発も手掛けていた。これは日本で最初に手掛けた再開発と言われている。その他、まちづくり会社やエネルギー公社の社長も務めて、商工会議所やJCでも活躍。「子供の頃、大好きで憧れの存在だった」と4代目の洋一郎は語る。
三代目の松井勝彦は洋一郎が最も尊敬する人物だという。
関わるすべての方とファミリーでありたいというのがモットーで、家業として成長させていくことを大切にしていた。それを受け継いで家業であるみどりやを経営しながら、岡崎まちゼミの会代表も務めている。
まちづくり岡崎の代表取締役として、まちゼミを中心に岡崎にてさまざまなまちづくり施策に取り組む。また内閣府地域活性化伝導師でもあり経済産業省タウンプロデューサーとして全国各地の中心市街地・商店街の活性化に関わっている。
実は、2016年に本誌にてインタビューを行った。その中で、商店街の復興に対しての想いを語っている。
「個店を良くするために大切なことが3つあります、ひとつは自分の商いに対するプライド。2つめは繋がりと連携。3つめは諦めないということです」。
このように語る、4代目は初代・2代目・3代目のDNAをしっかりと受け継いでいると言えるだろう。
まちゼミは現在日本全国に広がり、街を元気にしている。
※この記事は2021年10月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。