昭和40年代、三代目みや子さんと四代目千代子さん


昭和11年8月、二代目早川つまさん

明治時代初期(1860年代)、早川しょう・房七が、今の安城市和泉町にて農業のかたわら手延べ麺を作りはじめた。和泉町ではおよそ250年前から手延べ麺が作られていたという。二本の竹に小指ほどの太さで巻かれた麺を絶妙な力加減で少しづつ延ばし、2間(約3.6メートル)の長さにする長い麺と無添加が特長で、安城市の特産品になっている。創業当時はまだ明治用水が完成する前で、この辺りは荒地だった。
明治時代後期(1900年代)に、つま・応太郎が二代目を継いだ。梅雨が明けてから8月まで50~80日間の仕事となるため副業だった。和泉町の手延べ麺作りは、明治17~8年頃が最盛時代といわれており、当時手延べ麺製造業者は約70軒あったという。しかしその後、明治時代後期になると和泉手延べ麺業は衰退していく。その主な原因は、明治用水の完成によっていたる所の山林が開墾さて田畑になり、農業経営の見通しがつくようになったこと。もうひとつは、製麺機・製粉機の発達によって手延べ麺の製造費が割高になってしまったことによると思われる。
戦後、昭和30年代に、みや子・仁作が三代目となった。この頃、みや子製麺にも製麺機械が導入されて年中製麺ができるようになったため本業として、そうめんの他にうどんやひやむぎ等も製造するようになっていった。
昭和50年頃、家業が忙しくなり、後の四代目千代子が手伝うようになっていく。道路等の交通も発達し、工場も建ちはじめて、荒地は少しづつ町になっていった。平成7年、有限会社みや子製麺を千代子が立ち上げて四代目を継いだ。「そうめん作りは朝3時から始まります。その日その日の自然が相手。毎日の温度や湿度に合わせて小麦粉に混ぜる塩水の量や練る固さ、熟成させる時間を変えます。これができないと美味しい手延べそうめんはできません。1本1本の麺を大切に、無理なく延ばし、一度カラっと乾燥させた麺に少し湿気を加えて半生麺にする、これが和泉手延べ麺の特長です」。手作りは一度にたくさんできないのでとても大変な作業、さらに自然が相手なのでなかなか思うように生産できず、苦戦した時期もあった。こんな苦労が幾度もあったため、今のみや子製麺は強い。「毎日、いいものを作りたい」そんな気持ちで今日も手延べ麺を作っている。






有限会社 みや子製麺

所在地
安城市和泉町井ノ上3-10 Google Map
電話番号
0566-92-1774