昭和50年頃の旧店舗(伝馬町)


 初代竹内真吉は岡崎の雑貨問屋に丁稚で入り、昭和5年に年季が明けて今の名鉄東岡崎駅構内に竹内文具店を立ち上げた。真吉が外回りをし、後に二代目となる妻が店番をして文房具の卸で順調に業績を伸ばしていった。しかし戦時中(昭和10~20年頃)になると政府の統制により、紙製品の販売が個人店では思うようにできなくなった。個人店に卸していたため商売ができない。そこで真吉は組合作りに奔走し、組合を作って商売できるようになったということもあった。
 戦後(昭和20年代)になると、自社で文房具を作って売るようになっていく。たとえば、書道セットや下敷き、絵を描く際に使用するガバンなどを作って東海3県の文具店や小中学校の購買へ卸していた。この頃作ったガラスペンが今話題となり、復活して人気商品になっている。
 初代の功績で特筆すべきは、岡崎問屋団地をつくったことだろう。様々な卸業者を集めて問屋団地をつくるために奔走していた真吉達は、何度も愛知県庁へお願いに通ったという。その苦労が実って昭和44年に岡崎問屋団地ができ、竹内文具店もそこへ移転した。これまでは文房具がメインだったが、ロッカーや書庫、デスクといったスチール家具や複写機がメインとなっていき、事務機器販売という新しい柱ができた。


岡崎駅構内の店舗時代のもの


 昭和52年、初代真吉が亡くなり妻の元子が二代目となった。この頃の日本は高度成長期で、複写機などの事務機器を企業へ納品することが増えていったが、メインは文房具の卸だった。そして平成8年、息子の照男が三代目(現在の社長)となる。百円ショップの出現などもあり、個人経営の文具店が少なくなっていったため苦しい時期もあった。しかし、卸先をチェーン店に移行して乗り越えてきた。売上は増えていったが全国展開していたため、人件費や運賃などの経費がかさみ、利益はあまり出なかったという。
 そして平成26年、岡崎市篭田町の旧社屋を改築して新たに万年筆と文具の店「ペンズアレイ タケウチ」をオープン。高級筆記具を中心に西三河ではトップクラスの品揃えの店を展開するようになった。「地元に根をはり、ただモノを売って終わりというようなその場しのぎの商売ではなくて、人と人が永くつながっていく商売をしていきたい」とペンズアレイ タケウチGMである三代目の妻さちよは初代から受け継いだ心を語ってくれた。


復活して人気商品になっているガラスペン


竹内文具店

所在地
岡崎市明大寺町大圦1-38 Google Map
電話番号
0564-55-1666