桝塚味噌で知られる野田味噌商店は、岡崎に隣接する豊田市桝塚西町の静かな町並みの一角に建っている。三代目になる社長の野田清衛さんと奥さんが、笑顔で迎えてくれた。
「味噌は作るのではない。ひとねるものです」と野田社長は語る。大豆を蒸し、麹を作る。この仕込みで4日間。あとの540日間(1年半)で熟成をさせる。四季の移り変わりの中で、じっくり熟成していくことで、自然の甘さがある底味となる。なるほど、無言の愛で見守り、育て上げるのだ。「蔵、桶、道具を大事にしないと、良い味噌はできない」ことも祖父、父から教えられた。
その蔵を野田社長に案内していただく。黒光りしているような蔵は、戦時中の格納庫だった。当時、近くに岡崎海軍航空隊の基地があった。戦後の農地改革で、その格納庫や兵舎、また大正時代の小学校などの建物を引き取って改装した蔵は、十五蔵もある。そこには約400の巨大な木桶が並ぶ。
この木桶の中で、大豆と塩だけというシンプルな原料の豆味噌が、コクや香り、旨味を醸し出す。蔵や木桶のさまざまな菌を吸い込みながら。
味噌委託加工から始める
昭和二年に初代清市が、味噌委託加工専業として始めた。つまり、桶に入れて持ってきた大豆を、仕込んで、返す。その加工賃を頂く。地元上郷村はもとより、次第に安城、岡崎、豊田から日進、名古屋まで広がり、桶を運ぶリヤカーが一キロ程つながったこともある。多い時は二万個の桶が並んだ。
この仕込み加工は昭和40年頃まで続いたが、以後は味噌製造中心にシフトしていく。
最新のプラント工場も
「変えていいところは変えていく」と、近代化も並行して進め、平成五年には全国でも最新の設備を誇る本社プラント工場を建設した。
現在、社員は約四十人。年間三千トン生産。東海三県から関東、関西へも出荷。海外でも親しまれるほどになっている。
とはいえ、今も年間一千桶は委託加工を受けている。「大豆をきれいに選って持ってくる。私たちもそれに応える。これは私たちの根っこだから、やめられません」と野田社長。ここでは大豆と味噌の物々交換もありだ。「昔の日本では当たり前のこと。お互いのありがとうの気持ち。商売の原点です」
今も田畑を持ち、野菜や大豆を育て見守る。「もともと水呑み百姓で苦労したから、農業を大切にしたい。この思いを次代につなげていきたい」と野田社長は熱く語った。
※この記事は2011年07月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。