創業200年を越える老舗である。伝統を守り、決して変えないものがある。が、時代とともに変えるものもある。時代のニーズを謙虚にとらえ、信念を持って受け入れる。新しいお酒の開発にも手を抜かない。
神杉酒造は、文化二年(1805年)、豊田市鴛鴨町で創業した。矢作川に近く、原料やお酒は川船で運んでいた。
神杉という名称は、第七代杉本庄兵衛が、奈良県桜井市三輪町に在る大神神社(三輪神社)より拝名した。三輪神社は日本最古の醸造の神様であり、三輪山全体の神杉が御神体となっている。
鉄道(国鉄)が開設したことから、昭和十三年から五年かけてJR安城駅北の現在地に移転した。
酒造りに欠かせない良質な「水」を求め、十数か所ボーリングした中で、三か所から良質な水が出た。そのうちの一か所(現在地)を選んだ。五年かけて、蔵もそのまま移築した。
戦後間もなく、西尾市、吉良町の酒蔵と三社合併し、販路を広げている。
理想的な仕込水が湧く
「三河の国清き流れあり水甘しとて、この地にありて、美酒を醸さしめ─」と古来から伝えられている。もともと、安城の地は、まろやかな良水が湧出すること、三河の山間地に酒造に適した米がつくられていること、加えて、冬の気候風土も含め、酒造りに好適である。
粘土層のため、東を流れる矢作川の伏流水が、地表に近いところを流れている。今、神杉の敷地内にある五本の井戸のうちの一本から、仕込水として理想的な水が湧き出している。夏の渇水時でも水位が下がらず、「命の井戸」と言えるもの。酒の八五%は水、恵まれた水からこだわりの酒を生み出している。
安城の七夕まつりや、神杉の蔵開き・新酒まつりなどのイベントや蔵見学のときには神杉の仕込水を無料でわけてくれる。
安城産の若水を育成
使用する酒米のほとんどが、安城市産の「若水」、奥三河でつくられている「夢山水」。神杉では、二十年以上にわたって「若水」でどれだけの品質の酒造りが出来るのか、バラエティに富んだ酒が造れるのかを研究してきた。そして平成十六年から安城市内の生産者に依頼して、田植えや稲刈りを一緒に体験しながら、酒米の質の向上に努めている。
酒米は必ず玄米の状態で仕入れ、酒造専用の精米機で一〇〇%自家精米している。酒米は粒が大きく、柔かい。米の状態は年によって、その時によって違う。その状態を見極め、調整しながら精米する。
神杉は三大杜氏のひとつ、「越後杜氏」の流れを汲んでいる。麹や酒の造り方はもちろん、麹から伝わる見栄え、味、香りの確かさなど、持てる技術を惜しみなく後継者に伝えている。
機械化による酒の製造工程で、成分の分析はするが、数値が同じでも、味は全く違う。酒は生き物。結局は杜氏が舌で判断するしかない。例えば、吟醸クラスなら、実際に飲んで、「これは大丈夫」と杜氏が納得した上で初めて瓶に詰める。
「いいお酒、喜んでいただけるお酒」をモットーに、伝統を守り、研究を続けている。全国新酒鑑評会金賞はじめ多くの品評会でも受賞している。
変えるものは変える
江戸時代には全国で四万の蔵元があったという。今は千五百社、愛知県で四十数社とのこと。日本酒の販売は昭和五十七年のピーク時代に比べ、三分の一に落ち込んでいる。
日本酒にきびしい現状が続く中で、「時代の声を謙虚に受け入れ、変えるものは変えていきます」と十七代目になる杉本多起哉社長は語る。
平成二十一年度優良ふるさと食品中央コンクールで農林水産大臣賞を受賞したルビー色した純米本みりん「クレミシ」はカクテルベースで、ロックでも炭酸やミルクで割ってもおいしい。名古屋めしに合う燗酒「人生劇場」、文字どおり無濾過のしぼりたて「無濾過」、危険なお酒?「濁」などなど、興味をそそる品種を次々と生み出している。
「新しいアイデアと遊び心で、時代の要求に応えていきたい」と杉本社長は語っている。
※この記事は2011年01月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。