『栄四郎瓦株式会社』は愛知県碧南市に本社を置き、伝統的ないぶし瓦をはじめ洋風の住宅向けのものまで様々な瓦を製造している企業である。国内はもとより海外にも販路を広げ、公共施設や神社仏閣など様々な歴史に残る建造物にも携わっている老舗の瓦メーカーだ。その歴史は古く、遡ること220年前の享和元年(1801)に初代樅山金造が屋根瓦の製造を始めている。
当時、油ヶ淵一帯の水害を防ぐために開削された新川運河沿いには、瓦を焼く燃料である薪や松葉、瓦の輸送に水運が便利ということもあり、新川の多くの瓦屋はこの頃から始まった。
享和元年(1801)から今も瓦業として続いているのは『栄四郎瓦株式会社』のみ。つまり、『栄四郎瓦』は日本最古の瓦メーカーなのだ。
瓦業の販路を広めたのは三代目にあたる樅山栄四郎。栄四郎は自身の名前から一文字をとって屋号を『丸栄』と定めた。その後、4代目樅山金造が神社仏閣に瓦を納め尾張・紀州方面に販路を広げ、明治期には味醂屋も兼業していたという。
昭和23年(1948)には『合資会社丸栄商店』が設立される。昭和40年(1965)には『合資会社樅山商店』から『株式会社丸栄商店』へと2回社名変更している。『丸栄陶業株式会社』へと社名変更したのは昭和43年(1968)のことだ。
昭和47年(1972)には7代目樅山善久が代表取締役社長へ就任後、昭和55年(1980)に碧南市須磨町に『衣浦工場』を新設し、昭和63年(1988)には同工場内に『銀いぶし瓦』用トンネル窯を設置、生産が開始される。
さらに本社社屋が平成元年に完成し、平成3年(1991)には瓦業の販路を広めた三代目の名前をとって『栄四郎瓦』というブランド名が付けられた。
「栄四郎瓦 EISHIRO」というロゴも作成し、国内外にシェアを伸ばしたことで国内売上第3位の瓦メーカーにまで成長していく。
皇居の『吹上御所』にも銀いぶし特注瓦や塀瓦、敷瓦などが採用され、秋篠宮殿下と妃殿下が『栄四郎瓦』をご視察なさっている。
平成22年(2010)には樅山朋久が8代目現代表取締役社長に就任。『栄四郎瓦』としてブランド力を高めていきたいという想いから、平成29年(2017)に『栄四郎瓦株式会社』へと社名変更する運びとなった。
「瓦業というのは様々な関連企業が有り、企業それぞれの役割がありました。栄四郎瓦株式会社も様々な会社に支えられて、“成型から焼くまで”の分野で瓦業として成り立っていたのですが、規模を縮小したり事業をやめてしまったりする関連企業が増えてきた影響で、瓦を作るインフラの維持が将来不安な状況となりました。そこで金型保全及び設備保全部門を社内で立ち上げ、粘土会社を子会社化するなど内製化を進め、自社で担えるようにしたのです」と8代目は当時の状況を語る。
「日本の住宅が減ってきていますが、瓦はやはりいいもの。瓦が必要と思って下さるお客さまも沢山いらっしゃいます。そのような方たちのために瓦を造り続けていきたい」という想いは、たとえ強く風が吹いても揺らぐことがないだろう。
古き良き日本の風景に馴染むのはやはり、伝統ある瓦である。私たちの住まいにも瓦がある風景は当たり前だった。四季に馴染み、時の移り変わりを支えてきた瓦のよさは決して色あせることがない。
※この記事は2021年01月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。