新作民謡「藤江の渡し」も完成-日本民謡協会の今年度最優秀作品
藤江の渡し場からほど近い鎮守の森、神明社は、高平といって小高い丘の上にあり、その丘より浜を眺めると、眼下の碧い海にはポンポン蒸気船が威勢よく音を立てながら、白波をけたてて、あちこちに点在して漁をしている。時折り帆かけ舟も通り、その間を縫う様にして、艪漕ぎの渡し舟が対岸の尾張と三河の間を行きかっていた。まさに一幅の絵であり、これがわがふるさと吉浜の原風景であった。(渡し場かもめ会会長 中川庄嗣)
藤江の渡しは、高浜市の吉浜と対岸の東浦町藤江を結ぶ重要な交通手段であった。人の往来が多いと、自然と縁談話も持ち上がり、この渡し舟が嫁入り舟として使われることもしばしばであった。花嫁を乗せた舟は、衣浦の海をのたりのたりとして、見送る親戚知人が一斉に手を振っている光景が目に浮かぶ。嫁入り舟は昭和25年頃まで続いた。
藤江の渡し
- 江戸時代
- 東浦町藤江・生路には塩田があり、製塩が盛んであった。対岸の吉浜(三河)へ販売のため舟で渡った。(明治中期まで塩田残存)
- 大正~昭和初期
- 西端の蓮如忌、知多四国巡りの遍路、薬売り、呉服屋、八百屋等の仕入れ、知多郡の機屋で働く織姫などで賑わう。
- 昭和9年
- 吉浜の大細工人形展(柳池院・宝満寺ご開帳)の時は乗船客が最も多く、両岸は延々長蛇の列。数隻の舟でフル回転だった。
- 昭和31年
- 衣浦大橋開通。渡し舟廃止。
- 昭和55年
- 藤江渡し跡記念碑建立。
- 平成5年
- 「第1回芳川渡し場まつり」始まる。(芳川町町内会主催)。平成8年、第4回から「嫁入り舟」再現。
- 平成12年
- 市民ボランティア団体「渡し場かもめ会」(初代会長・杉浦節治さん)発足。渡し場まつりは渡し場かもめ会の主催となる。平成21年から花嫁を一般公募。
もてぎ敏男さん(作詞・作曲・歌)が歌う 10月23日
懐かしくも、情感あふれる「嫁入り舟」を再現する「芳川渡し場まつり」は、今年19回を迎え、10月23日12時半から、渡し場跡周辺で行われる。
今年、話題となっているのは、嫁入り舟の情景を歌った民謡「藤江の渡し」が完成したこと。当日は、作詞・作曲した、もてぎ敏男さんが訪れ、自ら歌い演奏してくれる。しかも、この曲は、日本民謡協会の今年度の最優秀作品に選ばれており、10月15日には、東京国技館の全国大会で発表される。藤江の渡しの歴史と文化に華を添える朗報で、高浜の人たちの喜びも大きい。
もてぎさんは、秋田県出身、5歳から民謡を習う。岡崎市在住で、民謡の指導に当たっている。三河地方の新しい民謡を創作。作品は矢作川船唄、三州足助馬子唄、玉音哀歌など多数。(財)日本民謡協会教授。もてぎさんは、高浜のまちを隈なく歩き、古老や当時の船頭さんを取材、方言や地名も盛り込んで作詞。舟唄と長持唄を融合させた味のある本格的な民謡に仕上げた。「昔の渡しの風景を思い描きながら、歴史を受け継ぐふるさとと人のつながりの大切さを思い、曲を作りました」と語る。
大村知事が仲人役 舟上で三三九度
まつり当日は、もてぎさんの歌う「藤江の渡し」にのって、公募の花嫁・花婿(2組)が入場。結婚はしたが、挙式はまだというカップルもいる。仲人役は地元出身の大村愛知県知事夫妻。海岸を歩き、舟に乗って、舟上で三三九度の儀式もする。対岸の東浦町からも祝福の旗が振られる。
嫁入り菓子も昨年は1,200袋配った。近くの高浜安立荘(特養・ケアハウス)の協力もあり、会場では、ポン菓子、団子、焼きそば、豚汁などの屋台が並んで賑やかだ。
「まちづくりは、ものがたりづくり。民謡ができたことで、一層夢を持って、活動を広げていける。渡し場文化の継承と共に、環境保全や福祉活動にも尽力していきたい」と中川さんは話している。
※この記事は2011年10月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。