国内最大級の白木彫り昇龍
今年は辰年。「昇龍の如く、勢いよく、元気に」と、新年に誓った人も多かったであろう。岡崎公園内にあり、岡崎城の隣に鎮座する龍城神社には、多くの参拝者が訪れている。元旦には徳川家ゆかりの「兎汁」も振舞われた。
龍城神社の拝殿天上には国内最大級と言われる白木彫りの昇龍が奉納されている。長さ4m、幅2.5m、厚み40cmの大きさ。見る位置や光線の具合で、その姿が変わって見えたりする。
この昇龍は、平成8年に岡崎市制80周年を記念して岡崎呉服協同組合が奉納したもので、岡崎市在住の木地師の小野田潤一さん、彫り師の大竹勇さんによる力作。ヒノキに似たベニマツで造られている。奉納費用約800万円は組合員はじめ、一般市民ら合わせ800人程が寄金したと言う。
日光東照宮の「鳴き龍」は手を打った音の反響で鳴くが、この「平成昇龍」は、手の音をセンサーがとらえ、スピーカーで“鳴き声”を流すというハイテクの仕掛けとなっている。
井水噴き出て龍神に注ぐ
龍城神社は、社伝によると、往昔三河の守護代西郷弾正左ェ門稠頼が、康正元年(1455)この地に城を築いた。その築城なる日、何処ともなく柳の五ッ衣に紅の袴を着けた気高い乙女が天守に現れ、城主に告げて言う。「我はこれ幾久しく此の処に住む龍神なり、汝われを鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめむ」と。折りしも城中の井水噴き出て、飛瀑の如く龍神に注ぎ、一群の黒雲舞い降りて天守を包むと、龍神の姿は忽ち消え失せた。
この不思議に城主は驚き、天守楼上に龍神を祀った。そこで城の名を「龍ヶ城」、井の名を「龍の井」と称えたと言う。
その後、龍ヶ城は文明年中に松平氏の居城となる。天文11年12月26日、城内坂谷御殿に産声をあげたのが後の征夷大将軍徳川家康公である。この英雄生まれ出ずる時、再び城楼の上に雲を呼び、金鱗の龍を見たと言う。かくして家康公薨去の後、城内に東照宮を奉祀し、同神社の創祀とする。後に本多忠勝公を合祀、明治9年龍城神社と定めた。今日の社殿は昭和38年、日光東照宮より神木の寄進を受けて竣成し、天神地祇、全市旧領の護国の英霊を配祀した。
毎年4月第1日曜日に行われる神幸祭は徳川時代から続く。家康行列としても親しまれている。初宮参りや七五三、神前結婚式、安産、厄除、家内安全、合格祈願、学業成就、商売繁盛など、市民の暮らしに根づいた祝い事でも賑わっている。
※この記事は2012年01月10日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。