木造東照権現(徳川家康)像(画像提供:岡崎美術博物館)


徳川・松平氏の菩提寺大樹寺にある徳川家康の木像です。同寺内にあった家康を祀った廟所に安置されていたものです。同廟所は安政二年(一八五五)の火災時に焼失は免れたものの後に取り壊され、像は本堂に家康の位牌と一緒に置かれていましたが、現在は新しく作られた位牌堂に祀られています。像は神殿のなかに収まり、東照権現と呼ばれる神像とされるものです。幕府の命により京都の七条仏師康以により正保年間(一六四四〜四八)頃に制作されたとされ、大樹寺に残る仏師康以書状では「権現様御神体」とあります。像高四七㎝ほどあり、黒袍を身にまとい、右手の笏を執り、太刀を佩く束帯姿です。神像ですが、晩年の家康の風貌でしょうか、穏やかな人間味のある顔付となっています。


本像より二十五年ほど前の元和六年(一六二〇)に作られたとされる家康木造に、京都知恩院蔵のものがあります。大樹寺の木造よりかなり大きく、像高一〇三㎝ほどもある像です。こちらは将軍秀忠の命で京都七条仏師康猶によって作られたものです。数ある家康木造のなかでも死後最も早く作られ、生前の家康を写実的に表現しているのではないかと考えられる像です。大樹寺蔵よりも若い姿にもみえます。この像は、去年の十一月東岡崎駅のペデストリアンデッキに設置された二十五歳の家康銅像を彫刻家の神戸峰男さんが制作する時に参考にされたとされるものです。


愛知県の文化財に指定されている大樹寺山門(画像提供:岡崎市美術博物館)

大樹寺の家康像は知恩院蔵のものと比較すると、ふくよかな顔付をしており、同時期に幕府により制作された岡崎市滝町の滝山東照宮の御神体である家康像とも類似しています。幕府をはじめ天台宗僧侶天海により家康の神格化がすすめられるなかで作りあげられた神像家康イメージの一典型といえるものです。
 この大樹寺木造の像容は江戸前期に木村了琢や狩野探幽などによって描かれる画像とも共通しており、品格のある均整のとれたまとまった形をしています。家康像は木造、画像を含め以後も、幕府、大名、旗本、寺院のほか個人によって様々な像容のものが作られますが、次第にその形式が崩れてゆきます。大樹寺の木像は江戸前期の家康を祀る東照宮信仰の高まりのなかで幕府によって作られた格式のある優品の一つです。松平氏と家康との関わりが深い西三河の歴史を語る貴重な文化遺産です。


所在地
岡崎市 Google Map
堀江 登志実(岡崎市美術館学芸員)