てこくま物語 巻末(碧南市藤井達吉現代美術館蔵・石川三碧コレクション)


 「てこくま」とは、九州山鹿庄の姫の身代わりとして、忠臣が差し出した自分の娘の名です。この絵巻は、縦30センチ、横1052センチを数えますが、これでも『山鹿物語』とでも題すべき一つの物語の下巻にあたります。これとほぼ同じ寸法で、神戸松蔭女子学院大学図書館が所蔵する『おかべのよ一物語』が、一つの物語の上巻にあたります。
 物語のテーマは、所領の不満による兄弟の不和と骨肉の争いです。父から譲られた所領に不満を持つ弟粥田は、老臣おかべのよ一の上洛中、兄山鹿を戦死させます。残った山鹿の姫は忠臣牧野を頼るものの粥田に知られたため、忠臣牧野はやむなく自分の娘てこくまを身代わりとして差し出しました。
 粥田によりてこくまが殺されたものの、助かった山鹿の姫は阿蘇に嫁ぎ、所領安堵を得て帰ったおかべのよ一が、粥田に対し主君の敵討ちをしたのです。
 ご紹介の部分は『てこくま物語』の巻末です。粥田は腰より下を土に埋められ、のこぎりで首を引かれます。山鹿の姫は堂塔を建立しててこくまの菩提を弔い、山鹿は栄える、という形で話を結びます。また奥書には「永禄九ねんひのへと ら六月吉日これをかく」とあり、永禄9(1566)年頃に書写されたとみられます。この物語は、専門家から語り物的色彩が極めて濃い物語として注目されています。
 実はこれまで下巻に相当するものは、東京国立博物館が所蔵する江戸後期頃の模本しか知られていませんでした。
 しかし、平成26(2014)年に碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈された石川三碧コレクションに収録のこの絵巻が、東京国立博物館本の親本と考えられ、先の『おかべのよ一物語』と揃いと見て間違いないことが、近年の調査研究で明らかにされました。
 そもそも石川三碧コレクションとは、碧南市大浜地区で長く味淋醸造業を営む石川八郎右衛門家に伝来した作品群で、石川三碧(1844~1923)が関わった作品が大半を占めます。三碧は京都に住む近代最後の文人画家、富岡鉄斎と交遊し鉄斎作品を多く遺していますが、それ以外にもこうした作品も収集したのでした。よって「てこくま物語」は、新たにもたらされた「西三河の文化遺産」といえるでしょう。


てこくま物語 巻頭


石川三碧(碧南市藤井達吉現代美術館蔵)


所在地
碧南市 Google Map
豆田 誠路(碧南市教育委員会文化財課)