鈴木家の由緒
旧鈴木家住宅は、歴史的景観が色濃く残る「豊田市足助伝統的建造物群保存地区」のほぼ中央、伊那街道に面して所在する商家の建物です。
鈴木家は屋号を「紙屋」と称し、かつては紙をはじめとした物品を取り扱う問屋業、後に金融業や土地経営などで財をなした、足助を代表する商家でした。文化5年(1808年)には、旗本本多家の家臣として位置づけられ、本多家を資金面で支えながら、足助の治政や領民の治安を維持する役割も担っていたようです。
屋敷構えの変遷
財の蓄積や家格の上昇とともに、土地や建物の拡張整備も徐々に行われていたことが、建物の痕跡や絵図などの史料からわかってきました。約4、000㎡(1、230坪)という広大な敷地内に、江戸時代から明治時代にかけて建造された16棟もの建物が密集して連なり建ち並ぶ姿は、まるでその敷地内だけでひとつのまちが形成されているようにも感じられます。
この旧鈴木家住宅は、足助の大規模商家の発展過程を示す価値の高さが認められ、平成25年に国の重要文化財に指定されました
大修理からわかってきたこと
建物の腐朽が激しかった旧鈴木家住宅では、平成26年度より解体調査を含めた大規模な保存修理工事が進められていますが、その作業に伴い新たに発見される事実もあります。
足助の町は安永4年(1775年)の大火によりほとんどの建物が焼失したと伝えられていました。一方、解体調査を進めていくと、仏間座敷の屋根垂木先端が焼け焦げており、また天井竿縁の墨書には宝暦7年(1757年)の建造であることが記されていたため、旧鈴木家住宅が大火以前から現存している数少ない町家のひとつであることが初めてわかったのです。
これからの旧鈴木家住宅
このように解体した部材や痕跡などを手がかりとした詳細調査を日々地道に行いながら保存修理工事を進めている旧鈴木家住宅ですが、現在は毎年3回程度、修理現場の特別公開を行っています。なかなか目にすることができない百年に一度の大修理を、ぜひ多くの方にご覧になっていただきたいと思います。
また、修理完了後は一般公開施設として活用をしていく予定です。西三河の貴重な文化遺産として、皆さんに愛され続ける文化財になっていくこととなれば幸いです。
※この記事は2020年01月01日時点の情報を元にしています。現在とは内容が異なる場合がございます。