名鉄西尾・蒲郡線体感ウォーク


 西尾と蒲郡をつなぐ名鉄西尾・蒲郡線、通称「西蒲線」(27.3キロ)の歴史を振り返ると、大正4年、西尾線が岡崎から吉良吉田まで開通、その後昭和4年に三河鳥羽まで開通、昭和11年に蒲郡まで全通した。当時の西三河が経済発展していくためには、西蒲線はとても重要な存在だった。
 戦後になると西蒲線は、通学や通勤でなくてはならない存在となっていった。しかし、車社会化や沿線観光の衰退などにより乗客の減少が進み、名鉄が平成20年に「一事業者の努力だけでは存続が困難」と行政の支援を要請した。
 その年、吉良町民が中心となって「名鉄利用促進懇談会」が発足された。時を同じくして東幡豆町でも「東幡豆名鉄電車存続のための利用促進会」が発足された。一市三町合併の2年前だった。
 合併後、町内会をはじめ、商工会やPTAなどのさまざまな会を取りまとめた「西尾市名鉄西尾・蒲郡線応援団」が発足され、一方、蒲郡市では市内の各団体を取りまとめた「蒲郡市市民まるごと赤い電車応援団」が発足されて、それぞれの団体が協力し合って活動の輪を広げていった。
 西尾市では、市内の各学校や近隣の学校、役所職員も自発的に参加し、ボランティアで活動を続けている。代表的な存続活動である「名鉄西尾・蒲郡線体感ウォーク」は、昨年末で第7回目となった。西尾高校の生徒約720名が、西蒲線を利用して子どもの国駅に集合し、そこからから西尾駅まで路線沿いを歩くというもので、保護者や学校職員なども協力し、市民総ぐるみで促進活動を続けている。
 「鉄道には、文化がある。思い出がある。地域のために何とか残したい」と応援団長の颯田氏は語る。昨年(平成27年)、西尾市・蒲郡市と名鉄が基本合意し、西蒲線は2020年まで存続されることになった。(正式確認書を交わすのは今年3月の予定)しかし、それ以降どうなるかはわからない。


赤い電車応援 駅前コンサート


名鉄西尾・蒲郡線利用促進大会


取材協力
西尾市名鉄西尾・蒲郡線応援団
写真提供
西尾市役所地域振興部